「ウチで働いてくださいよ」の一言をもらう

皿洗いは重労働だ。暑い厨房で2〜3時間立ちっぱなしで、手を動かし続けるのだ。悟志さんは体力を考えて、週に1〜2日程度の出勤にしていた。65歳を超えてから、筋力の衰えを自覚しており、体に負荷をかけて痛みが出るようになることを回避するためだ。

「あくまでバイトは社会とつながるためであり、体力維持と認知症予防が目的。年齢を重ねても働き続けられるように、仕事に精を出してはいけない。さらにそのためには筋力維持もしなければならないのです。というのも、皿洗いは、膝と腕と腰に負荷がかかる。毎日の筋トレを欠かさないようになりました。そのおかげもあって、隙間バイトを始めて半年で5キロ減ったんです」

そこまでできるのは、皿洗いという作業が嫌いではなかったこともある。

「山のようなものが、片付くのが好きなんです。あと、感謝されることですね。私が仕事で守っていたことは、ミスをしないこと。会社員時代に、仕事が早くても抜けや漏れがあると回収が大変なことを知っていたので、スピードよりも洗い残しがないことを優先していました。あるとき、厨房スタッフから“A(アプリ名)さん、名前教えてもらっていいですか?”と聞かれました。私が名乗ると、“悟志さん、あなたが洗った皿は洗い直さなくていいんです。ウチで働きませんか? 時給はAさんの1.5倍です”と言われたんです。これは嬉しかったですね」

店はアプリの運営会社に手数料を支払っている。だから最低の時給しか出せないことを心苦しく思っているとも言われた。

「これはとてもありがたいお話でした。この店は3回目でしたが、たった3回で私が認められるってことは、他の人の仕事ぶりがどうなのか、気になってしまいました。いろんな人が来るからお店側も苦労しているんだろうな、って」

ここもかつて悟志さんが接待で使っていた店だ。悟志さんは帰り際に支配人とすれ違ったが気付かれなかったという。

「名乗るのもヤボだし、今の自分ではここで食事する意味がないですからね。そうそう、スタッフになる話はお断りしました。今の私は、1週間に1〜2日、3時間しか働けませんから」

バイトを始めてから、体力がつき、思い立って鎌倉や高尾山などに行く自由も満喫しているという。この日は仕事だ、と制限されるのがもう嫌だと続けた。

「皿洗いの仕事をしてわかったのは、飲食業界はかなりの人手不足だということ。かといって、誰でもいいわけではない。きっと、この店に雇われたら、毎日来てくださいと言われるでしょう。一緒に働く人が、大変な思いをしていることがわかるので、きっと私もすぐ応じてしまい、早々に体を壊すんです。熱くなって働く時期は過ぎましたから、店を渡り歩くくらいがいいんです」

定年後の人生こそ、悟志さんのいう“現在地の確認”を怠ってはならないと感じた。何を求められて、それにどう応えるのか。体力、気力、様々なものが絡むからこそ、慎重にそして大胆に進まなくてはならないのかもしれない。

取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。

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