内閣府が発表した『高齢社会白書』(2023年)によると、暮らし向きについて心配がない 65歳以上の者は68.5% だった。経済的に心配がなくても、社会から隔絶してしまえば、様々な問題が起こってくる。
直之さん(62歳)は、コロナ禍の2年前に、新卒時代から勤務していたIT関連の企業を定年退職した。それから1年半、酒に溺れる生活だったという。定年は、朝から酒を飲む自由を得ることでもある。それまでのキャリアについて伺った。
【これまでの経緯は前編で】
「カミさんが仕事に行くのに、僕には何もない」
直之さんが定年した時期も悪かった。コロナ禍中だったので、皆で集まることもできず、ケジメの儀式ができなかったからだ。
「会社にエネルギーを吸われた後に、吐き出されるような感じで、外に出されてしまった。コロナじゃなければ、同期や後輩と集まって、ワイワイできたのにね。花束とかもらってね」
ある日突然、会社から放り出されてしまったので、やることがない。
「60歳で定年って、まだ若いし可能性はあると思うでしょ。でもそこから立ち上がる気力って意外とない。会社に人生を捧げているつもりはなかったけど、終わってみると全身全霊を捧げていたのよ。役員にはなれなかったけど、それなりの地位があったし、会社の看板もあると世間も成功している人と寓してくれたしね」
直之さんに趣味はない。かつてはスキーやスキューバーダイビングをしていたが、いつの間にか興味がなくなってしまっていた。
「定年って、思った以上に全くやることがない。朝起きて、空洞が広がっているんだよね。そうなると思いつくのは図書館。でもね、行ってみるとすごいよ。僕みたいにプライドばかりが高く、お役御免扱いされたんじゃないかと思ってしまう男がズラッといるの。そう見えちゃったのかもしれないけどね」
かつて、同じ会社に勤務していた2歳年上の妻は、息子が2歳の時に別のIT企業に転職した。妻のキャリアは、女性の社会進出と重なっているが、女性というだけで給料は低く、肩書きも付かないのが“普通”という時代だった。さらに、1999年までの労働基準法の規制で、女性の深夜労働はできなかった。 妻は深夜残業した時、自腹でタクシー代を払っていたという。
「カミさんはSEの職人だから、いくらでも仕事がある。僕みたいなマネージャーは、部下がいなければどうにもならない。僕は定年退職するまで、職人を少し下に見ていた。人を統率してナンボだと思っていたからね」
妻はSEの仕事もしているが、朝7時に家を出て、家の近所の保育園のサポート要員としてアルバイトにも行っている。12時過ぎに帰宅し昼食と仮眠の後に、勤務していた会社から請け負った仕事を自宅でこなし、17時に終業するという。
「それで、毎月20万円以上稼いでいるっていうんだから、大したもんだよね。カミさんには仕事があるのに、僕には何もない。定年になって気づくのは、金の供給元がなくなること。日本って息を吸うだけで金が出ていくのに供給源がない。なんでもいいから収入源を確保した方がいい。このことは、今後定年を迎えるすべての人に声を大にして言いたい」
【酒びたりの日々に、妻は見て見ぬふりをしていた……次のページに続きます】