「真面目だよね」は褒めているのではなく、呆れられている
由紀夫さんは大学に入学してから、努力でどうにもならない世界があることを知る。それは元々の頭の良さと、それまでに積み上げてきた経験の深さだという。
「地方出身者と東京の人は、経験の層が違うと思いました。手を伸ばせば最新の文化があり、アートも音楽も幼い頃から本物に触れている。加えて、多種多様な人生を知っているので、さまざまなことが瞬時に理解できるんです」
例えば職業だ。由紀夫さんの地元では、農家、農業関連機関の職員、学校の先生、役場の職員、工場に勤務する人、個人事業主、医師も含めた医療関係程度しか職業のバリエーションはない。
「東京は幅広く、職業選択が自由であり、それぞれが相互に関連しあって、巨大なマーケットを動かしている。それが僕には感覚的にはわからなかったんです。東京生まれの同級生から、よく“真面目だよね”と言われていました。僕の地元では“真面目”は褒め言葉で、最初は嬉しかったのですが、付き合ううちに意味の違いがわかってきたんです」
融通がきかない人や、思考がステレオタイプな人を「真面目な人だ」と表現することはよくある。
「内心、呆れていたんでしょうね。それに対してどうにもならないから、とにかく勉強を頑張って、第一希望の大手商社に就職しました。ここでは、あらゆる仕事をさせてもらい、まさに僕の青春だったと思います」
東南アジアの鉄道路線の開発など、国家規模の事業に携わったこともあったという。
「あの時代は、とにかく日本は強かった。1ドル100円を切ったこともありましたから。団塊の世代の先輩たちが、戦後の日本経済を牽引し、僕たちがそれを受け継いで頑張ったからこそ、今の若い人が、当座の食べ物や着るものには困らないという状況があると思うんです」
由紀夫さんは、1週間会社に泊まり込みしたり、徹夜で仕事をするなどザラだった。
「人が多かったから、“ここで頑張らなくては、誰かにこの仕事を奪われてしまう”という思いも常にありました」
上司や顧客に叱責されて、全人格を否定されても「ありがとうございます」と言っていた。そしてそのストレスは、家族に向かった。
「上司が紹介してくれた人と35歳で結婚し、40代で生まれた息子2人の学費や住宅ローンのために、65歳まで働きました。55歳の役職定年からは、お金のために働いていたようなものですよ。僕は覚えていなかったのですが、妻に対して暴言を言ったり、息子に対して暴力を振るっていたみたいです」
65歳の定年の日、自宅に帰ったら妻は家を出て行くと言った。理由は「あなたがいるだけで体調が悪くなるから」だという。
「僕が“何時に帰ってくるんだ?”とか“飯はどうする?”と聞くことが、妻に責任と義務感を与えていたようで、精神的に苦痛だと言われました。僕がその質問をしたのは、別に食事の用意をして欲しいわけではなく、遅いならどこかに飲みに行こうかと思っただけ。そういう一つ一つの言葉の意味が、逆の意味に捉えられていたのだと思い、失望したんです。息子たちも交えて話をしたのですが、私への非難の言葉しか得られなかった」
妻も息子2人も自宅に住んでいる。それなら自分が出て行こうと、不動産投資向けに買った都心のマンションで暮らすことにしたという。
「6畳のワンルームで、買ったものの誰も入らない物件でした。それなら自分で住もうと、引っ越したんです。僕は都心の生活に憧れもあり、楽しむつもりもありました」
【どこにも所属していないという辛さと向き合う……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。