取材・文/沢木文
親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。本連載では、ロストジェネレーション世代(1970~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、 “8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。
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2023年12月国立研究開発法人国立がん研究センターは『世界の最新がん罹患状況の公表~70カ国455地域参加による国際共同研究~』に初めて「日本」という単位で罹患が採用されたと発表。
日本と欧米諸国を比較し、日本が高い罹患率を示した部位は、東アジアに特徴的な胃がん(約5~10倍)や肝臓がん(約2倍)、胆のう・胆管がん(約2倍)、膵臓がん(約1.5倍)だったという。
玲子さん(63歳)は「お金がない、時間がない、私は大丈夫……そんなことを言い続けた、私の娘(38歳)は、がんが見つかったときに手遅れと言われた。治療費と祈祷師代でだいぶお金を使ってしまいました」という。玲子さんは夫(78歳)とともに、埼玉県内で寿司店を経営していた。しかし2年前に夫が交通事故に遭う。リハビリも芳しくなく、これを機に廃業することを決意。後始末をしている最中に、娘から「ステージ4のすい臓がん」と連絡が入った。
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家族で健康なのは、63歳の私だけ
娘の東京のアパートで一夜を明かした玲子さんは、2時間かけて家に帰る間、今後の計画を立てる。
「家族で健康なのは63歳の私だけなんですよ。だから、私がプランを立てようと決意しました。まずは娘の治療ですが、ウチの地元では難しいので東京にいるしかない。私が東京と地元を片道2時間かけて通うことも考えたのですが、現実的ではない。夫の事故の治療は終わり、定期的にリハビリに通うだけなので、私たちが東京に引っ越せばいいんだと思ったんです」
玲子さんはもともと茨城県出身だ。一度目の結婚は、20 歳のときにしており22歳で離婚。当時の婚家に叩き出され、大宮市内で夜の仕事をしていたときに、夫と知り合う。24歳の離婚歴がある女性と、39歳の寡黙な寿司職人はあっという間に恋に落ち、授かり婚をする。
「前の結婚が思い出したくもないくらい大変だったので、優しくて穏やかで、”愛してるよ”と”ありがとう”を欠かさない夫との結婚生活は本当に幸せなんです。結婚39年も経つのに、今でも夫を愛しているんですよ」
帰って夫に相談すると、「俺も東京に住もうかと思っていた」と言った。夫はこのエリアで生まれ育っており、地元愛が強い。それなのに地元を離れたいと思ったのは、「寿司屋が子供をひいた」というデマが根深く流れていたからだ。
「飛び出した子供を避けて、電柱に衝突して半死半生になったのにね。かつて、ウチは商売がうまくいっていたから、嫉妬の対象になっていたんでしょう。東京なら高齢者も住みやすく、娘の病院にも通いやすい。家賃が最も安いエリアにある2LDKの中古マンションに入居を決めました。3人で住むから60平米以上、車いす移動を考えてエレベーター付きにしたら、家賃が11万円のところしかなくて」
寿司店はすでに廃業している。無職の玲子さんが家を借りられたのは、会社経営をしている玲子さんの弟(59歳)が契約してくれたからだ。弟とはきょうだい仲が悪いが、事情を話したら応じてくれたという。不仲の原因は「姉ちゃんがヤンキーになって自由にしていたから、俺が家に縛り付けられた」からだという。弟は農家を継ぎつつ、食品会社を経営している。
「娘は余命半年宣言を下されているので、火事場のバカ力を発揮した引っ越しでした。荷物でパンパンだった前の家のものを全部処分して、東京に来たのです。私は女将もしていたから、いい着物がたくさんあった。買い取り業者に来てもらったら、“着物も買い取りますが、この指輪はどうでしょうか”など貴金属ばかりを見てくる。こっちが老人だからなめてかかってくるんですよ。こっちは元ヤンキーで、客商売やっていた百戦錬磨ですから、追い返しましたけどね(笑)」
幼稚園時代からの娘の作品、成績表、大量のビデオテープなど、写真は1/4程度にして、ほぼすべてを捨てた。
「だって、見ちゃうから。娘が生きている間に捨てないと、私はずっと娘の思い出を追いつづけてしまう。それはあまりにもつらいんですよ。こんなに思い出があったら耐えられない。“お母さん!”って私を呼びかけるビデオ、徒競走で一位になった笑顔、第一志望の高校に合格した姿、文化祭でギターを弾いているところ……それらのビデオはDVDにしました。写真を見ながら、まさかこんなに元気で明るい子が、38歳という若さ余命宣告されるなんて……と、そのことばかり考えていました」
「このとき、もっと優しくすればよかった」「叱らなければよかった」と子育て時の後悔が怒濤のように押し寄せて来て、「ごめんなさい、ごめんなさい」と娘の姿に向かって念じていたという。
「商売をしていたから、友達に敵をつくるなとか、行儀よくしろとか、まあビシバシ怒っていましたからね。夫が止めてくれなかったら、虐待でしたよ。本当に子育ては後悔だらけです」
娘の写真の大半を捨てるときは吐くように泣いたという。娘が実家に残したものの大半は捨てたが、高校時代愛用していたペンケースは残した。それは、デニム素材で玲子さんが娘のために縫ったものだったから。
「ボロボロになるほど、使ってるって知らなかったんですよ。私が作ったものを使ってくれていたんだ……ってまた号泣。逆縁って本当に罪ですよ。でもいいのか。娘は親より先にあの世に行くけれど、賽の河原で石を積まないようにしてほしいと思いました。そのことを夫に言いつつ、お地蔵様にお参りに行こうと誘ったら、”それはしなくてもいいぞ。あいつはもうオバサンだから、子供の間で石を積んでいたら通報されるぞ”って(笑)」
まとめて捨てたのは、家の中の荷物が余りにも多く、選別する体力がなかったということもある。廃棄したごみは4トントラック2台分で、処分にかかった費用は80万円だったという。物件は地元の不動産屋に相談することが嫌で、空き家専門の業者に500万円で買い取ってもらった。
【娘のために、金に糸目はつけない……次のページに続きます】