妻は恋人を作って出ていき、15歳の息子と2人暮らしをしていた
話を聞いていると、息子は20代後半で移住した計算になる。息子は大学を卒業し、大手企業でエンジニアとして働いていたのに、辞職して移住とは大胆だ。
「嫁の一族の地元だからだよ。嫁と息子は都内で仕事をしていたんだけれど、ふたりとも一人っ子であり、ワガママ。甘やかされて育ったから、人間関係がうまくいかない。特に息子は私がある時期からひとりで育てたこともあって、挨拶をするとか、人を思いやるとか、そういうことは言われないとできない。会社の居心地が悪くなったときに、嫁の実家に引っ張られるように移住した。仕事も家も嫁の実家が用意してくれた」
正孝さんの妻は、30年前にとつぜん家から出て行った。恋人ができたのだ。数カ月後に離婚届が送られてきて、サインをして提出した。現在、妻の連絡先も知らなければ、どこにいるかもわからない。
「当時、息子は中学生だったかな。母親に捨てられたショックは見て取れた。でも、父親は抱きしめるわけにもいかないし、どうにもならない。それから、私は仕事に、息子は勉強に励んだ。それから息子が27歳で結婚するまでの12年間、ずっと2人暮らし。男二人だと、ロクに口も利かないんだよ」
息子は母親に捨てられたショックもあったのか、女性を求めるところがあった。正孝さんは容姿端麗で、息子は似ているという。
「息子が大学生の頃、よくマンションの前に若い子がうろうろしていたよ。当時はサーファーみたいな恰好をして、俳優の江口洋介さんみたいなロン毛で。26歳のときに嫁に出会って、スピード結婚。嫁は私の元妻にそっくりなんだ。最初に会ったとき驚いたもん」
息子たちの夫婦仲は良好だという。嫁には持病があり、生殖治療をしないと子供は望めないという。正孝さんも「子供は幸せの種でもあるけれど、不幸も生む」と考えている。
「コロナみたいなことがあると、本当に子供がいなくてよかったと思う。あのとき、振り返ったのは、妻がいなくなった当時の息子。一時期、死ぬんじゃないかと思うほど、落ち込んでいた。あれは思い出すだけで涙が出る。気の毒で見ていられないんだよ。息子と一緒にいるために会社を休んだこともあったから……。もう、誰かが悲しむ顔は、やだよね。目の前の人には、笑っていてほしい。特に子供はね」
【キッチンカーでサンドイッチを売るのは楽しいよ……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。