取材・文/ふじのあやこ

写真はイメージです。

昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきている。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたこと、親について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫る。

小学3年生以下の子どもの放置を“虐待”と位置付け、禁止するという条例改正案が一時埼玉県議会で可決され、問題になった(現在は撤回)。この改正案は、放置の定義があまりにも世論とかけ離れていたことで多くの物議を醸していたが、その一方でこども家庭庁がまとめた「令和4年度 児童相談所における児童虐待相談対応件数(速報値)」では、子どもが親などから虐待を受けたとして児童相談所が相談を受けて対応した件数は21万9170件で過去最多となっているという現状もある。

合同会社serendipityでは、20歳以上50歳未満の子持ち男女全国4,000人を対象に「自身の虐待経験と親子連鎖」についての調査を実施(実施日2023年3月29日、有効回答数:20歳以上50歳未満の子持ち男女全国4000人(男女各2000人)、インターネット調査)。調査では、「未成年期に虐待(※1)を受けたことはあるか?」との問いに、男女とも9割弱は「受けていない」と回答した一方、「自分自身が受けていた」(男性:9.2%、女性:11.7%)や「自分自身は受けていないが、兄弟姉妹が受けていた」(男性:2.7%、女性:1.4%)と回答した人が1割超いることが判明している。

今回お話を伺った静香さん(仮名・42歳)は現在、夫と2人の子どもと暮らしている。静香さんが小さいときには虐待という言葉を知らず、当時のことを「少しずつ、母親のことを嫌いになっていった」と振り返る。

(※1)虐待の定義は、厚生労働省の「児童虐待の定義」参考

母親はパチンコ依存だった

静香さんは福岡県出身で、両親と7歳上に姉のいる4人家族。福岡で暮らしていたのは小学校3年生まで。両親の離婚で、母親と姉との3人で母方の祖父母の暮らす兵庫県に引っ越している。しかし、その数か月後に父親も3人を追いかけてきており、結局4人で暮らしていたという。

「両親が離婚するときにどっちと暮らすかを選ばされて、父親は仕事ばかりであまり接点がなかったので母親を選びました。最初は祖父母の家で暮らしていたのですが、なぜか父親とまた一緒に暮らすことになり、祖父母の家の近くのアパートで4人で暮らしていました。

父親が帰って来たときに、両親はやり直したんだって思っていたのですけど、2人は離婚したままでした。離婚する前も後も2人はケンカばかりしていて、結局父親はフェードアウトするように家に帰って来なくなりました」

父親が帰って来なくなってから、家のお金は極端に無くなった。父親は離婚後も養育費などのお金は渡していたものの、母親のギャンブルでそのお金が消えていたのだ。母親は離婚理由を「相手の暴力」と静香さんに言ったが、静香さんは母親のギャンブルのせいだと今も思っている。

「母親はパチンコばかりしていました。結婚していたときは専業主婦だったのに家に母親がいることは稀でした。私は母親に用事があると近所にあったパチンコ屋に母を探しに行っていたこともあります。

離婚後も母親は働いていなくて、父親から、そして祖父母からの援助で生活していたと思います。それだけでも生活はギリギリなのに、パチンコをするから余計に……。いつからか学校で必要なものがあると、アルバイトをしていた姉に相談するようにもなっていました」

【母親は唯一残った私にも冷たかった。次ページに続きます】

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