母親は唯一残った私にも冷たかった
年々母親と姉の関係が悪化していき、姉は高校を卒業後に家を出てしまう。それでも姉と静香さんの関係は良好のまま続いていたが、姉が結婚したことがきっかけで、姉との関係は途切れてしまったという。
「働き出した姉に母親はお金の無心を続けていました。姉も断ればいいのにそれでも母親だからと貸していたんだと思います。でも、それをよしとしなかったのが姉の夫でした。姉の夫は母親や私との縁を切れと迫り、姉はそれに従いました。
姉が結婚後も私とは連絡を取り合っていたのですが、『もう何もできない。ごめんね』と言われました。姉は幸せそうだったから、あのときはそれでよかったんだと思います」
母親と2人きりの生活を「しんどかった」と静香さんは振り返る。静香さんが中学、高校時代を振り返ってみても母親とのいい思い出は一切ないという。
「母親らしい姿なんて見たことないのに、それでも母親像を求めてしまうんですよね。高校のときはもう諦めていましたけど、中学のときは学校のことを相談したら親身になって話を聞いてくれるかなとか、思っていました。でも、母親から返ってきた言葉は『うるさい』。母親とはただ一緒の空間にいただけです。自分の生活は祖父母からもらったお金でしていました。
母親は料理もしない人だったんですけど、冷蔵庫に作り置きの料理があったことがあって、私は嬉しくなってそれを食べたときには、『勝手に食うな!』って怒られましたから」
揉めそうになると無視をしてしまう……。私は母親よりも酷い母親になってしまった。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。