学歴さえあれば、何とかなると思っていた
妙子さんは自分自身の心の傷から、娘の望むことは何でもしたいと思っていた。しかし、娘がホストに狂ってから、無意識のうちに自分の理想を娘に投影していたことに気付く。
「私は、日本人初の国連難民高等弁務官・緒方貞子さんみたいになりたかったの。娘にも世界に目を向けて、自分で考えて、行動する女性が素晴らしいと教え続けたのよ。できれば国連で働いてほしいとも思っていた。そのためには学歴が必要で、それさえあればなんとかなると思い込んでいたのよ」
現在、50代後半から70代の人の学歴神話は強いと感じることが多々ある。しかし、学歴で道が開けるほど甘くない。
「そうなのよね。娘も素直だから、私が“海外で仕事”と期待し続けたこともあったからか、偏差値68の名門大学の国際系の学部に合格。あのときは、本当に嬉しかった。私が行きたい大学に、娘が行くんだから」
それからはさらに娘の言いなりになった。欲しいものは何でも買い、行きたいところに行かせて、家事は一切させなかった。
「私の希望の星ですから、娘のためには何でもやりました。あらゆる仕事を受けて、娘につぎ込んでいた。娘が大学を卒業するまで、自分のための口紅1本買ったことなかったもの」
海外留学もさせて、就職活動となったときに娘は行き詰まった。志望業種も企業もなく、就職活動を放棄してブラブラしていたという。
「国際支援や国連関係の団体などに行くのかと思っていたら、“そういう気分じゃない”と言われたんです。辛抱強く話を聞いたら、娘はアイドルになりたかったというんです。そういえば、小学校の時に原宿でスカウトされたんですが、あまりにも怪しいので断ったんです。それをいつまでも覚えていることに驚きました」
親の期待に応えたいという気持ちは強く、娘は妙子さんの敷いたレールに乗って来た。しかし、「自分のやりたいことは別にある」と気付いた。妙子さんはそんな娘を受け入れ、娘を応援することに。
「娘が決めたのは、企業の受付業務を行う会社の契約社員でした。採用担当者も娘の高学歴にびっくりしたようですが、そこで働きつつ、俳優養成所にも通うようになったんです。娘が見せてくれた初の給料明細は、私の5日分の稼ぎしかありませんでした。それが情けなくて泣いてしまったら、娘は“給料は少ないけど、楽しいよ。ママ、私は女優になって成功するからね”と言ったんです」
しかし、22歳から俳優の訓練をしても、芽は出ない。26歳まで続けて諦め、読者モデルやInstagramの投稿に血道を上げるようになるも、人気は出ない。そうするうちに、コロナ禍に突入。楽天的な娘も、落ち込む日が増えたという。【初回5000円という誘いで遊びに行ったら、ホストにハマってしまった……後編へと続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などに寄稿している。