取材・文/ふじのあやこ

娘と家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた娘の気持ちを探ります。~その1~はコチラ

今回お話を伺ったのは、都内で編集の仕事をしている陵子さん(仮名・35歳)。出身は兵庫県で両親と5歳上の兄がいる4人家族。幼少期の震災経験を経て、家族仲はより強固になっていきます。しかし中学卒業時から高校にかけて反抗期に入ってしまい、徐々に家族との会話は減っていったと言います。

「友達と一緒に過ごすほうが楽しくて、家に帰って母親に何か言われると、それが怒られていなくてもイライラしてしまっていました。なのに、冷たい言い方をしてしまったことをその直後には後悔する。その繰り返しになって、徐々に母親との会話を避けてしまうようになったんです。

父親に対しては反抗期はなかったものの、高校生になってからは一緒に野球観戦もしなくなり、友人と過ごす時間が多くになっていきました」

大学時代に彼氏と半同棲状態に。帰宅しない娘と両親の接点がなくなる

大学に進学して、1歳上の彼氏ができたことで陵子さんはほどんどの時間を彼氏の家で過ごすようになり、家族と顔を合わせる機会さえなくなってしまいます。

「大学時代の彼氏は高校と違って地方から出てきていて、1人暮らしをしていたんです。その人はバイト先が一緒の人で、バイトが終わると一緒に彼氏の家に帰るような生活を2年以上していたと思います。母親は最初の頃は帰ってこないことに怒っていましたが、20歳を超えた辺りから大人なんだから勝手にしなさいという感じで放任になったんですよ。認められた感じがして嬉しかったです。

父親とはその2年間はお盆やお正月ぐらいしかロクに顔を合わせていませんでしたね。ずっと家に帰らないことを怒られることもなく、それでもニコニコしているような父でした」

その後、陵子さんは関西の出版社に就職。毎日始発から終電まで働くような生活をする中で、学生時代からの彼氏と破局。今度は仕事で家族との時間を作ることができなかったと言います。

「もう毎日必死でした。定時の10時から18時までは先輩の仕事を手伝うだけで過ぎていきます。自分の仕事ができるのは始発に会社に行くので、朝の6時から10時まで、夜は19時ごろから終電まで。その当時はあまり記憶が残っていないぐらい、仕事しかしていませんでした。その時、どんなに遅く帰っても、母親は私が家に着くまで起きて待っていました。それに、私はバイクで家から最寄りの駅まで行っていたんですが、そのバイクが盗まれたことがあって、バイクが見つかるまでの1か月弱ぐらいずっと父親は禁酒をしてくれていました。お酒が大好きだったのに。今思うと本当にありがたいんですが、両親の気持ちは少し重かったです。帰るまで起きていることも負担でしたし、自転車で帰宅することもできたんです。でも危ないからと父親は頑なに自転車を使うことを認めてくれなくて」

一人暮らし、そして上京。会えないという物理的な距離が、家族との時間の大切さを再確認させた。次ページに続きます

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