仕事人間だった母は、別人のように孫を溺愛した
中学、高校、大学と成長していく中でも亜紀子さんと伯母との関係は続いた。そのことが明確に関係しているわけではないが、亜紀子さんと叔母、姉と母親という2組に分かれていたという。
「私は母親に怒られることは滅多になくて、一方の姉はいつも母親とケンカをしていました。ケンカの内容は本当にくだらないことで、親子ケンカというより、友だち同士のケンカみたいでした。
そんな母親と姉の距離感を羨ましいと思わずに済んだのは、伯母が居てくれたからだと思います。私は生理のこととかも伯母にお世話をしてもらいました。母親にはなんとなく相談しづらくて。姉が生理になったときに、母親から『あんたも必要ならここに(生理用品を)入れてあるから』と言われただけ。母親は生理用品を切らすことなく補充してくれていましたけど、本当にそれだけです」
亜紀子さんは大学に進学したが、姉は勉強に興味がなく、高校を卒業後に就職。そして、22歳のときに授かり婚をした。姉の子どもが生まれたことで一番変わったのは母親だった。
「母親はずっと仕事人間だったのに、孫にメロメロになってしまって。私は当時まだ大学生で実家に居たのですが、母親は仕事以外の時間はすべて姉の家に行っていて、母とほとんど顔を合わせることはありませんでした。
母親の孫のかわいがり方はやや異常で、私は姉と一緒に『私たちが赤ちゃんのときにもあんな感じだったのか?』と疑問に思うほどでした。それでも、孫に対してはみんなこんなものなのかなって、私のときも母親がここまで協力してくれるなら助かるなって思っていました」
亜紀子さんが出産したときに感じた姉との違い。ずっと味方をしてくれていた伯母はそのときにはいなかった。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。