親にまで毒を吐くような人は、もう何を言っても変わらない
長岡さんの母親が亡くなってから5年後、今度は父親に癌が見つかった。
「父の世話をするのは私しかいません。幸いウチの近くの病院に入院できたので、わりと頻繁に顔を出すことができたんです。でも、入院費の支払いは平日の夕方までに済ませなければならないので、支払いだけは、Aに頼んでいたんです。ところが……」
ある日、長岡さんが病室から帰ろうとすると、父親に「もう、Aを来させないでくれないか」と頼まれたそうだ。
聞けば、Aさんは父親の枕元で、義母から冷たい態度をとられ、いかに傷ついてきたかを、時には怒りをこめて、時には涙を流しながら切々と話して帰るのだという。
父親は黙って聞いてきたが、ある日「もうやめろ」と叱ると、「お義父さんにも責任がある」と主張し、逆に責め立てられたという。
「驚きました。よりによって、親父に向かっておふくろの悪口を言っていたとは。Aに対する怒りというか、失望というか、その両方が入り交じった感情が沸いてきました。100:0でおふくろの味方だとは言いません。でもおふくろはもうとっくに亡くなっているんですよ。それなのに、どうして今さら蒸し返すのか。ましてや弱っている親父に恨み節を浴びせるなんて……」
その晩、「お義母さんと同じ墓には入らない」とつぶやいたAさんの横顔を思い出し、長岡さんは妙に合点がいったという。
「私がもっと話を聞いてやれば解決していたんでしょうか。骨になっても一緒にいたくない、というのは相当な怨念ですよ。何年も何年も、ウチで何を言われても耐えてきました。でも、墓に入ってまで恨み言を言われるのは、こっちだって嫌ですよ。親父だっておふくろだって嫌でしょう」
離婚を切り出した晩、Aさんは取り乱していたそうだ。そして翌日、「ずっと我慢してきた自分が言うならまだしも、迷惑をかけていたほうが切り出すのはおかしい」と何度も繰り返したそうだ。
「完全に被害者になりきっていましたね。私も至らない点が多々あったんでしょう。でも結婚して35年余り、我ながらよく耐えてきたと思います。親にまで毒を吐くような人は、もう何を言っても変わらないですよ。この先毎日顔を突き合わせて過ごすなんて……やっぱりどうしても考えられなかったんです」
長岡さんは離婚後、実家で父親と同居生活を送っている。一方のAさんは、それまで暮らしてきた家にそのまま住んでいるという。
「Aは専業主婦でしたから、賃貸で借りられる部屋がありません。放り出すわけにもいかないので、『どこか住処を見つけるまでは住んでもいいよ』と言いました。感謝の言葉? そういうことが言える人なら、離婚を選んだりしていないと思います。離婚しても住む家に困っていないし、『長岡家の墓には入らない』という願いが叶って、ほっとしているんじゃないでしょうか」
取材・文/大津恭子
出版社勤務を経て、フリーエディター&ライターに。健康・医療に関する記事をメインに、ライフスタイルに関する企画の編集・執筆を多く手がける。著書『オランダ式簡素で豊かな生活の極意』ほか。