取材・文/大津恭子
定年退職を間近に控えた世代、リタイア後の新生活を始めた世代の夫婦が直面する、環境や生活リズムの変化。ライフスタイルが変わると、どんな問題が起こるのか。また、夫婦の距離感やバランスをどのように保ち、過ごしているのかを語ってもらいます。
【~その1~はコチラ】
[お話を伺った人]
長岡重樹さん(仮名・63歳) ファンドマネジャーとして再就職した投資信託会社を定年退職。今年の夏、離婚調停の末に離婚し、生まれ故郷で父親と生活している。
亡き母への怨念を病床の父にぶつけた元妻と、この先一緒に暮らせない
10年ほど前のことだ。長岡さんの母親が急逝し、一連の葬儀を終えて自宅に向かう道すがら、Aさんが突然こう言った。
「私はお義母さんと同じお墓には入らないから」
「どういう意味だろう、と思いましたね。私はひとりっ子なので、自分が入る墓のことなんて意識したことはありません。当然両親が眠る墓に入るものだと思ってきましたから、その言葉には疑問符がつきました。なぜ今なんだ、じゃあどうする気なんだ、と。でも、そのときは母を亡くした悲しみや、役所関係の事務処理やら何やらで頭がいっぱいで、追究しなかったんです。今思うと、けっこう深い意味があったようですけど」
自分の母親とAさんの折り合いが良くないのは、結婚当初からのことだ。
結婚3年目からは、盆暮れに実家に帰るのは長岡さんと子供達だけの“父子帰省”が常となった。
やんちゃ盛りの子供ふたりを連れての帰省は気が休まることがなく大変ではあったが、Aさんと母親との一触即発を避けるには最善の策だ。険悪な雰囲気を子供達に見せずにすむと思えば、多少の気疲れはやむを得なかった。
友人も同僚も「嫁姑の関係というのはそんなものだ」と口をそろえた。
しかし、そうやってやり過ごしてきた結果、両者の間には引き返せないほどの深い溝ができていたのだ。
「今となっては何がそんなに気に入らなかったのか、よくわかりません。おふくろは孫をとてもかわいがってくれましたし、七五三や入学などの節目にはけっこうな祝い金を包んでくれました。それでも、Aは御礼の電話すらしようとしない。形式的でいいから、電話くらいかけてほしかったですけどね。まあ、そんな期待もしなくなっていきました」
やがて長岡さんの母は持病の心臓病を悪化させ、1年間ほど入退院を繰り返したのちに亡くなった。
当時長岡さんは40代。大口顧客を多数抱えつつ若手の育成をする立場となり、深夜帰宅が常となっていた時期だ。また転職のタイミングとも重なり、多忙を極めた。
しかし、入院してから亡くなるまで、Aさんはとうとう一度も見舞いに行こうとしなかった。
「Aは病院からの電話連絡を私に伝言するだけです。こっちだって、拝んでまで行ってほしいわけではない。でもやっぱり、人としてそれはないだろう、と思いましたね。おふくろには、さすがに『Aが見舞いにも来なくてごめん』と謝りましたよ。もっともおふくろも、うんともすんとも言わず、嫁は以前からいないも同然でした」
【親にまで毒を吐くような人は、もう何を言っても変わらない。次ページに続きます】