取材・文/沢木文
「女の友情はハムより薄い」などと言われている。恋愛すれば恋人を、結婚すれば夫を、出産すれば我が子を優先し、友人は二の次、三の次になることが多々あるからだろう。それに、結婚、出産、専業主婦、独身、キャリアなど環境によって価値観も変わる。ここでは、感覚がズレているのに、友人関係を維持しようとした人の話を紹介していく。
「60歳にもなって男漁りをしている親友・聡子(60歳)が許せないんです」と憤っている玲子さん(60歳)。都内の女子大学の英文科で出会った2人は、40年近い友情をはぐくんできたが、最近絶交をした。
引っ込み思案な聡子に、父が夢中になった
「地方出身の聡子と、東京生まれの私は、女子大1年生のときに、4月のキャンパスで出会いました。ウチの大学には、他校のサークルが勧誘に来ていました。聡子は地味で目立たないのに、胸が大きくスタイルがいい。ある男子学生が今でいうストーカーのようなやり方で聡子を勧誘していたところを何度か助けたことで友達になっていったんです」
聡子さんは秋田県出身だった。色が抜けるように白く、よく見ると美人だった。それでいて、性格は地味で引っ込み思案。
「聡子と私は同じテニスサークルに入ったのですが、合宿やキャンプ、飲み会さえも“玲子が行くなら私も行く”と受け身でした。私は自分で決めてサッサと行動するので、そんな聡子を疎ましく思ったことも。母にグチを言うと“聡子ちゃんは秋田からたった一人で東京に出てきていて不安なのよ。助けてあげなさい”と言われ、大学4年間は、ほぼ毎日一緒にいたと思います」
玲子さんの都内の実家は広く、友人たちのたまり場になっていた。特に仲が良かった聡子さんとは、家族とともに夕食を食べたこともあった。
「最初は兄が聡子にホレたけれど、全く相手にされていませんでした。そのうちに、私の父と聡子がアイコンタクトをするようになったんです。会社経営をしている父は女好きで、何人かの彼女や愛人がいたので、“まさか聡子に手を出すまい”と思い込んでいたんですね。そのうちに母が、“聡子ちゃんはもう呼ばないで”と言いだした。あの時は子供だったから“まさか”なんて笑い飛ばしていましたが、きっと父は聡子と関係を持っていたと思います」
自分の娘と同じ年の女性に、手を出す男はいるのだろうか……と思ったが、当時の父親は50歳、20歳の女性は魅力的な“メス”だろうと思いなおした。ところでなぜ、玲子さんは聡子さんと父ができていると思ったのだろうか。
「昔、銀座でパレードを行うお祭りがあったんです。我が家はそれが好きで、通りに面したレストランの窓際席を予約して、それを毎年のように見ていたのですが、いつの頃からか食事会は行われなくなりました。あのときもパレードの日で、私は通りを歩いていた。そして、かつて我が家が予約していたレストランを見上げたら、2階に父と聡子がいたんです。あのとき、父は聡子の肩に手を置いていた。そのことは聞いてはいけないような気がして、黙っていたんですけれどね」
その頃から聡子さんは、当時はやり始めたブランド物を身に着けるようになったという。きっと父が与えたのだろう。
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