離婚した娘に「自分の人生を犠牲にしてまでちゃんと育ててやったのに」
最初に結婚したのは25歳のとき。元夫は高校の同級生で、結婚相手に選んだ理由は母親のお気に入りだったから。
「私が高校生の間にポケベル、PHS、携帯が出てきたんです。高校の最初のほうはまだ何も持っていなくて、家の電話で彼氏と話すしかなくて、彼の存在を知った母親から『連れて来い』と言われたことが2人を会わせたきっかけです。友人の家族とどこか違うと思っていたので会わせたくなかったのですが、2人はすぐに仲良くなったんですよ。母親は父親とケンカばかりしていて、あれから男性の影もなかったから、勝手に母には異性の話題を出してはいけない、嫌いなのかもしれないと思い込んでいたんですが、杞憂だったみたいです。
そこから付き合っていく中で2度ほど別れた時期はあったものの、25歳のときにプロポーズされて結婚しました」
しかし、結婚生活は4年で終わってしまう。付き合っている間に2度別れるきっかけになった浮気癖が治らず、相手の有責で離婚に。そのときに母親から、また「犠牲」という言葉が聞かれるようになったという。
「『自分の人生を犠牲にしてまでちゃんと育ててやったのに』と。離婚したての娘にかける言葉じゃないですよね。
実家に戻ったのですが、家にいる間は家事をすること、家のお金を入れることなど色々決められました。私は結婚している間もずっと働いていて元夫とは家事は分担制だったんですが、実家に戻ってからのほうが家事負担が重くのしかかってきましたね。離婚後に母親と比べて元夫のいい部分を思い出すとかもおかしいですよね。そのぐらいから、母親のことを嫌いなのかもしれないと考え始めました。一度目の結婚はあまりいい記憶は残っていないんですけど、離れたことで母親のことを俯瞰することができたんだと思います」
転職を理由に実家を離れ、新しい職場で恋人もできるなど順調に物理的な親離れをしていくも、精神的には離れられず。母親が勝手に作っていた合鍵が決定打となった。
【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。