文/印南敦史

わけあって、ドキュメンタリーを中心とした児童虐待に関する書籍を読み続けている。当然ながらその多くは生々しく、ときに痛みすら感じさせる記述も少なくない。そのため、読めば読むほど心の底にずしっと重たいものがたまっていくような思いにかられもする。

だが、それらの書籍が映し出すものは必ずしも具体的な虐待の描写だけではない。さまざまなケースを知るたびに、一般的な常識では推し量りにくい家族のあり方を実感したりもするからだ。

外側からはなにごともなさそうに見える“普通の家庭”の裏側に、目を背けたくなるような光景が広がっていたりすることもある。そうかと思えば、一見すると“壊れている(もしくは壊れかけている)ようにも見える家庭”が、じつは意外とうまくいっていたりもする。

当たり前だが基準があるわけではないので、なかなか客観的な判断を下しにくくもあるわけだ。

それはともかく、ここで焦点を当てたいのは上記のような“家庭の問題”に関するトピック。具体的にいえば、『宙ごはん』(町田そのこ 著、小学館)に出てくる家とその家族についてである。

主人公の宙(そら)という女の子が育った環境は、端的にいえば異質だ。なにしろ“ママ”と“お母さん”がいるのだから。

『お母さん』と『ママ』はまったく別のものだと、宙は思っていた。『お母さん』というのは産んだひと。『ママ』というのは育てるひと。そういう分けかたなのだと信じていた。(本書6ページより)

“ママ”の風海は、ときに厳しくもたっぷりの愛情を注いでくれる人物。一方、風海の姉であり、宙の“お母さん”である花野は、社会常識から逸脱しているようにも見える奔放なイラストレーター。つまり姉妹でありながら、両者の個性は正反対だといえる。

とはいえ、“お母さん”の花野を「カノさん」と呼んでいた宙はまだまだ子どもだった。そんな環境に疑問を抱くこともなく、与えられた環境のなかで素直に育っていくのである。

だが、そんな関係がいつまでも続くわけではなかった。宙が小学校に上がるタイミングで、風海は夫のシンガポールへの赴任に同行することになり、そこから宙の環境は一転するのだ。なにしろカノさんは子どもの世話などできず、ごはんもつくらず、授業参観よりも恋人とのデートを優先するような人物だったのだから。

それに、子どもはいつまでも子どものままでいられるわけではない。宙も成長していくにしたがって、「変わった環境」に囲まれていることを少しずつ理解していくようになる。

そんな環境にありながらも荒れたりしなかったのは、周囲の大人が彼女のことを温かく見守ってくれていたからなのだろうか。たとえばいい例が、花野の中学時代の後輩であり、父親が経営する「ビストロ サエキ」で働く佐伯の存在だ。彼は適度な距離感を保ちながら宙に寄り添い、日々のごはんを用意してくれ、ときには話し相手になってくれるのである。

宙の握りこぶしほどの厚みを持ったパンケーキにバターを載せると、鋭かったバターの輪郭がすぐにやわらかくまるくなった。宙のリクエストのイチゴジャムを皿の端にどっさりと載せた佐伯が「召し上がれ」と言う。宙は「いただきます」と手を合わせるのももどかしく、うつくしく焼きあがったパンケーキにフォークを刺した。
ぱりっと焼かれた表面に少しの抵抗があって、フォークの先が沈む。ぐっと手前に引くと甘い香りが鼻を擽った。ふわふわしたたまご色の生地を大きく切り分けて口に運ぶと、表面は少し硬めでかりっとした食感。中は雲を口に入れたかのようにすっと溶けて消えた。最後に残るのはバターの豊かな香りと、イチゴジャムの爽やかな酸味。(本書51ページより)

「こんなにおいしいパンケーキを、初めて食べた」と感じながら、宙は花野についての悩みを佐伯に打ち明ける。

「一緒に暮らし始めてから、一緒にごはんを食べてくれないんだ。お話もほとんどしない。カノさんは、わたしと暮らしたくなかったんだよ、きっと。わたしのこと、迷惑なんだ。嫌い、なんだ」」(本書52〜53ページより)

苦悩に満ちた宙のことばを受け、佐伯が口を開く。花野がなぜ、宙にたいしてそのような接し方をするのかについてだ。

ここから先は読んでからのお楽しみだが、ともあれ以後、クセのある大人たちと宙との、ごはんを間にはさんだ不思議な関係が続いていく。そこからは、家族のさまざまなあり方を感じ取ることができるかもしれない。

『宙ごはん』
町田そのこ 著
小学館

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文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)などがある。新刊は『「書くのが苦手」な人のための文章術』( ‎PHP研究所)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。

 

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