取材・文/ふじのあやこ
日本の非婚化が進行している中でも、離婚を経験後にもう一度結婚に向かう人たちもいる。今回は再び家族を求める人たちに、その理由を伺った。
知子さん(仮名・43歳)は母親が他界した23歳のときに入籍。新しい家族を作りたい思いからだったものの、夫婦生活に家族を実感できるものが少なく、早くから子どもを望んでいた。しかし、夫婦の話し合いを経て妊活に取り組もうとした28歳のとき、悪性の腫瘍が胸に見つかる。
【~その1~はコチラ】
私は母と同じ病気。遺伝性のがんを親にも言えなかった
医師の不親切な説明から薬を飲み始めて、5年という治療期間が必要なことを知った知子さん。妊活を始められなくなったことを夫に相談したときの一言が離婚のきっかけになったという。
「『仕方ないじゃん』って言ったんです。病気がわかったときも、『お前がガン?』と驚くだけ。その後は姉の前だけで大泣きしたんですけど、夫の前では気丈に振る舞うようになっていました。すでにこんな弱音を吐けない関係だったんだって悲しくなりましたね。
そこからは私も悪かったと思います。病人っぽく振る舞われるのも嫌だったし、かといって気を遣ってくれていたのは最初の数か月だけで、家事などを何も手伝わなくなったところもムカつきました。私は放射線治療で胸の皮膚がすごくただれてしまったのですが、洗面所でバッタリ会って見られたときに引きつったような苦笑いを浮かべて『大変だね』って他人事で。
顔を合わすだけでイライラするようになって、ケンカもなくなったときに私から『離婚してください』と言いました」
そこから知子さんは一人で生きていくこと、もう誰かと向き合うことはないと決めたそう。
「実は私は遺伝性の乳がんで、母親の死因も乳がんなんです。遺伝性となると卵巣がんなどのリスクも普通の人よりも高いこと、私の子どもにも遺伝する可能性があることを考えると、もういいかなって。
それに私は友人の中でも一部の人にしか病気のことを伝えていなかったし、父にも兄にも言えていなかった。それなのにこれから出会った人に言えるわけないと思っていたから」
【病で何もかも失ったと思った人生に同志ができた。次ページに続きます】