文/印南敦史
50代には多少なりとも、「締めくくりの10年」というような印象があるかもしれない。しかし現実的には、なかなかうまくいかないものでもある。仕事の場でのしかかってくる責任や、そこからくるプレッシャー、果ては親の病気や介護、自らの健康不安などなど、公私ともに不安が多いからだ。
『50歳からの幸福論』(佐々木常夫 著、リベラル社)の著者も、50代後半で大きな試練を経験している。少し長くなるが、本書の重要なポイントでもあるので、まずはそのことを確認しておこう。
当時私は、肝臓病で入退院をくり返す妻の看護と、自閉症の長男の世話をこなしながら、五十二歳で東レの繊維企画管理部長に、五十七歳で取締役に就任と、ビジネスマンの最後の胸突き八丁を必死に歩んでいました。
三十九歳で課長になって以来、私は自分なりの目標を持ち、いつかは「自分の手でこの会社をもっと活力あふれる組織にしたい」と考えるようになりました。このミッションを果たすには、もっと上を目指さなければならない。当時の私は少し大それた夢を持っていたのです。
(本書「はじめに」より)
家族の問題を抱えていたとはいえ、ある意味では理想的なサラリーマン人生を送ることができていたと考えることもできそうだ。ところがうまくいかないもので、著者にはさらなる試練がのしかかる。
障害を持つ長男のことと、長期にわたる病気生活のストレスによってうつ病を併発した奥様が、手首を切って自殺未遂を図ったのである。幸いにも命は取り留めたものの、著者はその後、「なぜこんな目に遭わなければいけないのか」と惨めな気持ちになってしまったという。
しかも追い打ちをかけるかのように、会社からは左遷人事が言い渡される。取締役を解任され、子会社への辞令が出たため、「私のビジネスマン人生は終わったな」という思いとともに50代を終えようとしていたのだ。
自分ごととして考えてみれば、その気持ちは痛いほどわかるのではないだろうか。だが、そんななか、一筋の光が差し込む。奥様の病気が、改善の兆しを見せ始めたのだ。そして、そのときの会話が著者の気持ちを大きく揺さぶることになる。
自殺未遂から一命を取り留めた直後、妻は弱々しい声でこうつぶやきました。
「お父さん、ごめんな。迷惑ばかりかけて」
この一言で、私は自分の考えが間違っていたことを思い知らされました。
そもそも一番辛い思いをしているのは、長年病気に苦しめられてきた妻です。そのことを慮り、閑職に回してもらうよう会社に申し出てでも、妻のそばにいてやるべきだったのに、私は「家庭も仕事も完璧にこなす自分」に酔い、心のどこかで家族を見下していたのです。
そんな自分の身勝手を反省し、できる限り妻に寄り添うよう心がけると、妻の容体はしだいに快方に向かいました。そして妻が元気になるに従い、家族も元の明るさを取り戻していきました。
(本書「はじめに」より)
ようやく苦難を乗り越えることができたわけだが、著者はそんな「挫折と再起」を通じ、人生における50代という時期の重要性を痛感したという。
そこで本書では、50代を迎え、その時代特有の悩みや戸惑いを抱える人々に、自身の経験から得た「50歳からの心構え」を伝えようとしているのである。
たとえば第1章では、自分の「身の丈」を計ってみることの大切さが強調されている。著者自身がそうであったように、多くのサラリーマンは夢や目標に向かって、がむしゃらに働いてきたことだろう。目標を達成してがんばっている人もいれば、思わぬアクシデントによって「こんなはずではなかった」と悔しい思いを抱いている人もいるに違いない。
しかし、その道筋が理想どおりではなかったとしても、どんな条件を突きつけられたとしても、そのなかで最善を尽くすことで運命は変えることができるはずだ。持って生まれたものは変えられなかったとしても、努力によって自分を変えていくことはできるのである。
自分に与えられた条件を前にして、「不運だ」と嘆くのはいちばん簡単なことでもある。しかし本当に重要なのは、「その条件下でどれだけのことができるか」を考え、行動に移すことだ。なぜなら人間は、(年齢に関わらず)努力を重ねることによって成長し、自分らしい幸せのかたちを獲得するものなのだから。
著者はそれを「身の丈に合った生き方」であると表現している。
幸せな人生とは、分相応を知ること、「身の丈を自ら知る謙虚さ」があって初めて叶えられるのです。人は自己実現のみではなく、「人間として成長するために働く」。ビジネスの第一線を退いてみると、そのことが本当によくわかります。(本書57ページより)
なかには、「身の丈を知ることができれば、お金はどうでもいいということか」と極論をいいだす人もいるかも知れない。しかし当然ながら「貧乏に生きろ」ということではなく、その生き方に最適なお金の使い方をするべきだということにほかならない。
文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)『書評の仕事』 (ワニブックスPLUS新書)などがある。新刊は『「書くのが苦手」な人のための文章術』( PHP研究所)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。