日本の児童精神科医学のパイオニア・佐々木正美先生。半世紀以上にわたり、子どもの育ちを見続けながら子育て中の親たちに寄り添ってきた先生の著作や言葉には、子育てだけでなく人生を幸せに生きるための道標がたくさん残されています。この連載では、その珠玉のメッセージを厳選してお届けします。
構成・文/山津京子
もしお孫さんが「もの」ばかり要求するとしたら、心が満たされていないからです。
子育てにおいて何より重要なことは、あるがままの子どもを認めて、受け入れてあげること。そして、そのうえで、子どものいうことに耳を傾け、その子の願いをできる範囲で叶えてあげることです。
なぜなら、そうすることでその子は自信と誇りを持ち、他人を思いやる心が生まれ、人とうまくつきあうことができるようになるからです。
けれども、私のそうした言葉を聞いたお母さん方からは、「『あれを買って、これも買って』と、子どもに『もの』を要求された場合、子どもの願いをどこまで満たしてあげたらいいのでしょうか」という相談をよくされました。
そんなとき、お母さん方には、私は「子どもには、『もの』は節度を持って与え、心や手をたっぷりかけてあげてください」と答えてきました。
私の子育てにおいての経験では、「もの」を与えることだけは、節度を守るようにしていました。
例えば、小学生以上であったら月々小遣いを与えて、その小遣いの範囲内でなら、子どもがほしいものは何を買ってもいいというふうにしていました。
そして、少し高価なものは、クリスマスや誕生日のときに願いを叶えてあげるように決めていました。
子どもの心を満たしたいなら、手と心をかけてあげてください。
しかし、その一方で、子どもたちに自分のできる限り手と心をかけていました。
なぜなら、「もの」以外の子どもの要求をたくさん満たしてあげていれば、それだけで子どもは「もの」を要求しないものなのだと実感していたからです。
例えば、わが家では次のようなことを実践していました。
食事においては、子どもが食べたいメニューを言えば、妻ができる限りなんでも作ってあげていました。「なんでも」といっても、子どもの味覚はおとなのように贅沢ではありませんので、カレーライスとかスパゲッティー、ハンバーグといったものです。
朝食では、パンがいいか、ご飯がいいか。パンならバターロールか食パンか。飲み物はミルクがいいのか、オレンジジュースがいいのか、などといった願いは聞いてあげていましたね。
また、休日であれば、私がほとんどの子どもの要求にこたえていました。
キャッチボールをしようとか、トランプをしようとか。ときには新幹線に乗りたいといった要求にもこたえて、東京駅から小田原まで子どもといっしょに乗りに行ったこともありました。
私たち夫婦は、自分の心や体や時間でこたえてあげられるものは、可能な限り与えてきたと思います。
そんなふうに子どもに接していると、おもちゃ屋さんの前で「あれを買ってほしい」「これがほしい」などと言って、子どもが「もの」を欲しがることで、私たち夫婦が困ったことはほとんどありませんでした。
私は子どもの精神科の臨床医をしていましたので、自分の子育てをやや実験的な気持ちも込めてやってきたのですが、そんな経験を経て思ったのは、子どもの要求というものには、個人差があっても、どの子においてもある一定の容量があるということです。
そして、子どもというのはある一定の要求が満たされると、それ以上のことは言ってこないという考えに至りました。
それは、空腹でもないのに、あれこれ食べたいという欲求が起きないのといっしょです。
だから、もしお孫さんが「もの」で要求をしてばかりいるとしたら、心の要求の満たされ方が不足しているのだと思ってください。
また、私の経験上、もうひとつわかったのは、子どもの気持ちを「もの」で満たしてあげるというやり方では、子どもは親に対して、さほど大きな信頼を寄せないということです。
「もの」を与える際、ときには親が生活を切り詰めて、高額の商品を買ってあげることもあるでしょう。でも、安易にあれこれ「もの」を買って与えても、親の心(愛情)は、子どもに伝わりにくいのです。
要するに、親自身が心と体と時間で満たしてあげたほうが、お金をかける場合より、子どもが親に寄せるようになる信頼の度合いは大きいんですね。
これは祖父母の場合でも同じだと思います。わが家は、私の父と母と同居していましたが、父と母は孫である私の息子たちを本当に溺愛していました。
例えば、父は天気がよければ孫たちにせがまれるままに近くの公園に出かけて、ブランコに乗せたり、滑り台を楽しませたりしていました。電車好きの長男には踏み切りのそばに行って、長男が「もういい」と言うまで電車を見せることもよくありました。
心と手を本当にたくさんかけてくれたと思います。
そうして、大きくなった子どもたちは、老いた祖父母の頼みや言うことをよく聞いていました。
私たち夫婦は冗談混じりに「子どもたちにはおじいちゃん、おばあちゃんから言ってもらったり、頼んでもらったりするのがいいね」と話していたくらいです。息子たちは祖父母のことを信頼し、愛していたのだと思います。
このような実体験をしているからこそ、私は、お子さんには、小さなうちから心と体と時間をかけてあげていただきたいんです。
例えば、子どもがおんぶをせがんだら、おんぶをしてあげてください。
長時間おんぶをする必要はありませんよ。「つぎの電信柱のところまでね」とか、「向こうから自動車がきたら、おんりだよ」とか言っておんぶをしてあげればいいんです。
要するに子どもの心を満たしてあげればいいのですから、自分の願いが親や周囲の家族から受け入れられて、大切にされているという実感が伝わればいいのです。そうすると、子どもの心が満たされて、子どもの自信につながります。
「日々の食事」で子どもの願いを叶えてあげてください。きっといい子に育ちます。
もし、私がお願いしていることが大変だと思ったら、まずは、私の妻がしていたように、日々の食事で願いを叶えてあげるところから始めてみてください。
朝食の卵はハムエッグがいいか、ゆで卵がいいか、オムレツがいいか。そんなレベルでいいんですよ。
日常の食卓で、小さな願いが叶うことというのは、一見するとたいしたことではないように思えますが、食事というのは生命の大切さを感じる力を与えますし、毎日のことですから、とても大切なものなんです。
簡単な料理であっても、自分の望んだことを受け入れてもらった事実が子どもにしっかり伝わって、その小さな積み重ねが、あたたかな家族関係をつくるうえで、必ず大きな力になります。
反対に、心と手と時間をかけずに、心が満たされずに大きくなってしまった子どもというのは、やがて大きくなるにつれて、自分のやり方でその要求を満たそうとします。
例えば、思春期や青年期に暴力的になったり、反社会的になったり、非社会的になったりすることがあります。また、自分の要求にこたえてもらえなかった分だけ、その子は周囲の人や社会の要求や期待にこたえられない人間になっていくのです。
子どもは本当に自分を大切にしてくれる人を信じ、大切にされている自分に安心し、社会性豊かな人間として生きていけるんですね。
おじいちゃんやおばあちゃん世代は、ぜひこのことを親世代に伝えていただきたいですね。もし、いまの親世代ができないなら、それを祖父母がサポートしてあげてもいいと思います。
心のこもった食事を子どもに与えるのは、思春期や青年期でも子どもの心を満たす有効な方法です。
ところで、「食事で子どもの願いを叶えてあげるという」この方法は、お孫さんが大きくなってからでも有効です。
大きくなった若者におんぶやだっこはできませんが、食事を作ってあげることはできるからです。
ただし、お孫さんの心が満たされるまでは時間がかかることを覚悟して臨んでください。
大きくなってから子どもの要求を満たしてあげるのは、借金の時間が長くなればなるほど利子が大きくなるのといっしょで、小さな頃に不足していた成熟のための借金の返済をすることになるので、時間や手間がたくさんかかるのです。
だからこそ、小さなうちから子どもに心と手をかけてあげてほしいんです。そうすれば、きっといい子に育ちますから。
佐々木正美(ささき・まさみ)
児童精神科医。1935年、群馬県前橋市生まれ。新潟大学医学部卒業。ブリティッシュ・コロンビア大学留学後、国立秩父学園、東京大学、東京女子医科大学、ノースカロライナ大学などにて、子どもの精神医療に従事する。臨床医として仕事をする傍ら、全国の保育園・幼稚園・学校・児童相談所などで勉強会、講演会を半世紀以上にわたりつづけた。2017年没。深い知識と豊富な臨床経験に基づいた育児書は、いまも子育てに悩む多くの親たちの信頼と支持を得ている。『子どもへのまなざし』《正・続・完》(福音館書店)、『育てたように子は育つ』(小学館文庫)、『ひとり親でも子どもは健全に育ちます』(小学館)など著書多数。
『人生のおさらい 自分の番を生きるということ』
著/佐々木正美 書/相田みつを 監/相田一人 小学館刊
佐々木正美が語る幸せな人生のしめくくり方
癒やしの精神科医が、81歳を迎えた自身の人生を振り返りながら、人生の終盤をいかに生きるかを、相田みつをの言葉と書にのせて綴る。巻末には、相田みつを美術館館長が語る「父・相田みつをと佐々木正美さん」を収録。
構成・文/山津京子(やまつ・きょうこ)
フリーランス・ライター&編集者。出版社勤務を経て、現在に至る。主に育児・食と旅の記事を担当。佐々木正美氏とは取材を通して20年余りの交流があり、『ひとり親でも子どもは健全に育ちます』(小学館)、『人生のおさらい 自分の番を生きるということ』(小学館)の構成を手掛けた。