日本の児童精神科医学のパイオニア・佐々木正美先生。半世紀以上にわたり、子どもの育ちを見続けながら子育て中の親たちに寄り添ってきた先生の著作や言葉には、子育てだけでなく人生を幸せに生きるための道標がたくさん残されています。この連載では、その珠玉のメッセージを厳選してお届けします。
構成・文/山津京子
エリクソンの「ライフサイクル・モデル」は、人生を幸せに送るための道しるべです
私が敬愛し、師と仰ぐドイツの精神分析家、エリク・H・エリクソンは、「ライフサイクル・モデル」という、幼児期から老年期までの人生を乳児期・幼児期・児童期・学童期・思春期&青年期・成人期・壮年期・老年期という8つのステージに分け、幸せに生きるための理論を提唱しています。
精神科医として、子どもとその家族の悩みを理解しようとするとき、私は折にふれて、このエリクソンの考えを参照してきました。
エリクソンは、8つのステージにおいて、それぞれの時期にクリアーすべき課題を示しているのですが、彼の提唱したこの課題は、幸せに生きるための道しるべのようなものです。
このモデルが示す道すじを参照すると、私のところに相談にきた子どもが、いつどのようにその道から逸脱してしまったのかが見えてくるのです。そうすると、その子の人生の築き直しを考えていくことができました。
けれども、この道しるべに完璧に従って人生を歩める人はいません。いろいろなつまずきを私たちはもっているからです。ただ、このライフサイクルを学びながら、自分の人生を振り返ることで、今起こっていることの問題や、その背景がみえてくるんですね。
みせかけの前進はあっても、人間の発達や成熟に飛び級はありません
エリクソンは、「人間の発達や成熟には一定のステップ・アンド・ステップがあり、そこには飛び級はない。ただし、みせかけの前進はある」と述べています。
例えば、乳児期の課題である基本的信頼感を身につけることができたからこそ、幼児期を健全に迎えることができ、幼児期の課題である自律性を身につけることができるというわけです。
それは、赤ちゃんの運動発達と同じです。首がすわらなければ、絶対に寝返りができないし、寝返りができない子は、おすわりやはいはいができないのと一緒なのです。
ただし、心の発達は、体の発達と比べて見えにくい。
例えば、幼い子どもを育てるときに、鍛えようとして厳しく育てた場合、その子は一見、すばらしい子のように育ちます。しかし、それは本当の育ちではありません。
年齢相応に良い行いをするように見えますが、それは「みせかけの前進」で、必ずいつか逆戻りします。
私たち精神科医のもとには、思春期をむかえて問題を起こした子どもたちがやってきますが、その子たちの問題は、現在ではなく、もっと以前の幼いころの育児環境に原因があることがほとんどなんですね。
発達に飛び級はなく、見せかけの前進だったということが多いのです。
「人生はいつでもやり直しができる」
私はそう思って、これまで精神科医として患者さんと向かい合ってきました
私はいま人生の晩年を迎え、あらためてエリクソンを自分なりに思い起こして、勉強しています。
そして、いま、自分の人生に満足しています。
数年前のある朝のことです。妻がベッドから体を起こして、「もう、いつ死んでもいいですね」と、ぽつんと言ったのです。
一瞬、私はドキッとしましたが、その意味がとてもよくわかりました。
私たちはその前の晩に、海外の世界遺産を紹介するテレビ番組を観ながら、これまでふたりで訪れた国々のことや旅の思い出を楽しくおしゃべりしたのです。
「あそこを訪れたときは、ああだったね」
「あそこではこんなことがありましたね」
そんなことをたっぷり話して、とこについたのです。かなり満足感がありました。
妻が「もう、いつ死んでもいいですね」と言ったのは、そのような夜を過ごした翌朝のことでした。
だから、その言葉は「早く死にたい」という気持ちではないのです。「自分の人生は幸せだったな」という気持ちから思わず出た言葉だったんですね。
私も同じ気持ちでした。
ともに歩んできた家族や友人に感謝しています。年を重ねるにつれ、自分の母に、父に大切にしてもらったことを実感し、そのことに対してとても感謝しています。仕事で携わってきた人たちに支えられてきたことにも感謝しています。
人生の老年期を迎えたあなたは、いま人生に感謝できますか。
人生に悩んだら、エリクソンの提唱した、見事なライフサイクル・モデルを参考にして、人生を振り返ってみてください。自分の人生を見つめ直すことができると思います。
そして、つまずきをどう修正していけばいいのかが、わかってくるはずです。単純に正しい答えは得られないでしょうが、修正するための道すじのようなものは見えてくるはずです。
理想的に人生を歩める人はいません。でも、人生はいつでもやり直しができます。
そう思いながら、私は精神科医として、これまでずっと患者さんたちと向かい合ってきました。
【エリクソンのライフサイクル・モデル】
時期 | 年齢の目安 | 各年代の発達課題 |
乳児期 | 0~2歳 | 「基本的信頼」の獲得。人を信じられるか。人を信じられることができるようになった子どもは、同時に自分を信じる力を得ることができる。 |
幼児期 | 2~4歳 | 「自律性」(セルフ・コントロール)を身につけること。自分の衝動を律することができる力を得る。 |
児童期 | 4~7歳 | 「自主性」、積極性、主体性、目的性を育むこと。好奇心を持ち、自分からすすんで活動する力を得る。 |
学童期 | 7~12歳 | 「勤勉性」の基礎づくり。友人とさまざまな経験を共有することで、社会に対する自分の適格性を確認し、勤勉な生き方のもとを身につける。 |
思春期・青年期 | 13~22歳 | 「アイデンティティ」の形成。仲間とふれあいながら、自分自身を客観的な目で見つめ、自分を見出す。 |
成人期 | 23~35歳 | 「親密性」を持つ。家族や同僚との結びつきを持ち、社会に価値を生み出す力を持つ。 |
壮年期 | 36~55歳 | 「世代性」を生きる。先人の生み出した文化を学び、継承し、そのうえに新たに生み出したものを後進に託す。 |
老年期 | 56歳~ | 「人生の統合」「人生の完成」がテーマ。人生に満足し、感謝できるか |
佐々木正美(ささき・まさみ)
児童精神科医。1935年、群馬県前橋市生まれ。新潟大学医学部卒業。ブリティッシュ・コロンビア大学留学後、国立秩父学園、東京大学、東京女子医科大学、ノースカロライナ大学などにて、子どもの精神医療に従事する。臨床医として仕事をする傍ら、全国の保育園・幼稚園・学校・児童相談所などで勉強会、講演会を半世紀以上にわたりつづけた。2017年没。深い知識と豊富な臨床経験に基づいた育児書は、いまも子育てに悩む多くの親たちの信頼と支持を得ている。『子どもへのまなざし』《正・続・完》(福音館書店)、『育てたように子は育つ』(小学館文庫)、『ひとり親でも子どもは健全に育ちます』(小学館)など著書多数。
『人生のおさらい 自分の番を生きるということ』
著/佐々木正美 書/相田みつを 監/相田一人 小学館刊
佐々木正美が語る幸せな人生のしめくくり方
癒やしの精神科医が、81歳を迎えた自身の人生を振り返りながら、人生の終盤をいかに生きるかを、相田みつをの言葉と書にのせて綴る。
巻末には、相田みつを美術館館長が語る「父・相田みつをと佐々木正美さん」を収録。
構成・文/山津京子(やまつ・きょうこ)
フリーランス・ライター&編集者。出版社勤務を経て、現在に至る。主に育児・食と旅の記事を担当。佐々木正美氏とは取材を通して20年余りの交流があり、『ひとり親でも子どもは健全に育ちます』(小学館)、『人生のおさらい 自分の番を生きるということ』(小学館)の構成を手掛けた。