娘は家から出たかった
娘の性格について幸三さんに聞くと、「特に意見を言わない子」と言う。
「ディーラーに就職したと聞いたときも“あいつ、クルマが好きだったけ?”と思うくらい。いるかいないかわからないほど、静かな子だった。そこに就職先を決めたのは社員寮があることと、給料がいちばん高かったこと。娘はそれなりの都立高校にいったので、就職先はたくさんあった様子。家内の話では、学校の先生も進学をすすめてきたのに、なぜ就職したのかということでした」
その話から推測できるのは、娘が実家を出て、自立したかったということだ。
「それは娘からも言われました。“お兄ちゃんとお母さんのケンカがうるさい”といわれていたんです」
息子に夢を託す母と、母の支配を拒否する息子……家庭内にバトルが起こると、家の居心地は悪くなる。
「……そうか。私が家に帰りたくなかったのは、そのせいかもしれない。娘は幼いころからその環境いたので、自分の身を守るために我慢強くなったのかもしれません」
娘は高校卒業後、社員寮に引っ越した。ディーラーの仕事は裏方の事務だったという。
「顔が派手な割には地味な性格なんですよ。当時は、若くてかわいい女の子が受付や接客担当をして、金持ちの男性客にクルマを買わせていたと思う。おそらく、娘は容姿も買われて採用されたんだと思いますが、性格が暗い。そこで事務方を任されたんだと思います」
仕事の話を娘としたことはないけれど、堅実に働いていた。だから、支店長からある男性を紹介された。
「娘が25歳のときに、“私、結婚する”と報告があったんです。相手は消耗品を製造している企業の3代目。超大金持ちで都内の一等地に複数の家を持っている。ディーラーの顧客で、10歳年上でした」
風采がよく、しっかりした男に見初められた娘は幸せそのものだった。
「妻が大喜びで、“こんなセレブと結婚して、私の子育ては間違っていなかった”と言った。結婚式の写真を近所中に見せて自慢していましたよ」
その結婚式の費用は、相手側の親が出した。「こちらのお披露目なので出させてください」と言われたのだそう。
【婿は娘に最低限の生活費しか与えず、我が娘には経済制裁を下した~その2~に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。