自分を客観的に見れたことで家族の違和感に気づいた
その後、派遣社員で別の企業に勤める中で、同じく派遣社員の女性と仲良くなり、この女性が真琴さんの価値観を変えてくれる存在になったそう。
「最初はやたらとベタベタしてくるなって感じだったんですけど、一緒にいることが楽だったので、誘われるがままに仕事帰りに遊ぶようになって。それからしばらく経った後に、彼女が同棲していた彼と別れて、彼が出て行ってしまったことで家賃が払えないと困っていて、私に一緒に住んでくれってお願いしてきたんです。特に嫌じゃなかったし、家を出るきっかけになるかなって軽い気持ちでOKして、彼女と暮らすことになりました。
一緒に暮らすことでわかったのは、彼女は私と同じような境遇で育ったということ。彼女のほうが実際に母親が何度も家出をしていたり、父親があからさまに浮気をしていたりとひどい状態でした。彼女の境遇を知ったことで、自分の家族のことを初めて他人に話すことができました。理解してもらえるという安心感があったんじゃないかな。
最初は共有できることが嬉しかっただけなんですが、徐々に彼女の親のことをひどい人だと思うようになって。そのときに初めて客観的に自分の親のことも見ることができるようになったんだと思います」
当時も定期的に実家に戻っていたという真琴さん。両親はすでに家庭内別居状態で、母親はいつも「別れたい」と口にしていました。真琴さんは離婚を後押ししたと言います。
「別れない理由は何なのかと母に聞いたんです。そしたら『昔はあなたのためだった』と。今はもうそんな勇気がないと言ってきました。私はお金が心配であれば財産分与があるなど、事務的な事を調べて母親に伝え、最後にはこれからは自分の人生を生きてほしいということ、そして私も自分の人生を生きると伝えました」
そこから約半年後に両親は離婚。結婚して神奈川に来ていた母親は、地元に戻ったそうです。友人との同居を解消後も、母親と真琴さんはお互いに依存し合うこともなく一定の距離を置いている状態とのこと。
「離婚後に母が私との同居を望んだらどうしようという思いはありましたが、それは杞憂でした。父親だけでなく、もしかしたら母も私のことを好きじゃなくて仕方なく育てていただけなのかなって思うこともあります。前だったらそんなことを考えないようにしていたのに、今は冷静に思うことができるようになった。それだけでも進歩ですよね。母と縁を切るなんてできないので、大人になった子どもと親との距離で付き合っていこうと思っています」
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。