取材・文/ふじのあやこ
昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきています。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたこと、親について、そして子供について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちを迫ります。
今回お話を伺ったのは、勇人さん(仮名・37歳)。現在、都内にあるデザイン事務所で働いています。勇人さんは30歳の時に結婚、現在は奥さんと1歳になる子供と3人で暮らしています。
8歳下の妹中心に回る家族。イライラして「妹なんかいらなかった」と発言したことも
勇人さんは埼玉県出身で両親と2歳下、8歳下に妹のいる5人家族。父親は親族が経営する建設関係の仕事を、母親は専業主婦で、小さい頃は厳しかった父親と優しかった母親といった、両極端な印象しかないと言います。
「小さい頃の記憶はほとんど曖昧なんですが、母親はいつも優しくて笑顔だった記憶があります。でも、父親はいつもムスっとしている顔を覚えているんです。父は妹たちには優しかったんですが、長男の僕にはこうあるべきと自身の考え方を押し付けるタイプでした」
一番下の妹が生まれたのは勇人さんが小学生の時で、その時のことはハッキリと覚えているそう。毎日妹中心に回る家族を鬱陶しく思ったこともあったとか。
「母親はそこまで体の強い人じゃなかったから、産む前から入院をしていました。だから祖母と妹と一緒に何度も母親の病院へお見舞いに行っていましたね。そして、無事に生まれてからはすべてのことが一番下の妹中心に家族が動くことになります。2つ下の妹の時は覚えていなくて、僕にとって一番下の妹のことだけ強烈に記憶に残っているんです。当時は家族5人で3部屋しかない団地に住んでいたので、泣き声とかも本当に逃げ場がなくて……。うるさくてイライラしたことを覚えています」
小学生の頃は母親と妹との3人で晩御飯の買い物に行くことが楽しみだったと語る勇人さん。一番下の妹について暴言を吐いたことで父親から鉄拳を食らった過去もあるそう。
「母親と買い物に行った時は、お菓子を買ってくれたり、好きなメニューをリクエストできたりするから、とても楽しかった。でも、一番下の妹ができたことでそれもなくなって、母親が買い物中は家で妹のことを見とかなきゃいけなくて。他にも自分がしたいことを制限されることが増えて、イライラしていました。発言したことは覚えていないんですが、晩御飯中に『妹なんていらない』と言ったみたいなんです。直後に父親から殴られたことは覚えています。今振り返るといけないことを言ったことはわかりますが、当時は両親から大切にされているのは妹だけといった気持ちが強くなっただけでしたね」
【将来は父親と違う道へ。次ページに続きます】