美貌の母に似ず、父親に似てしまった娘の闇
利彦さんの親があまりにも妻を疎外するので、結婚半年で同居をやめ、駅前にアパートを借りた。
「まあ幸せに生活していたと思う。こっちは企業戦士だから帰ってこられない。女房は好きにやっていたと思う。待望の娘も生まれて、娘が5歳になるくらいまでの10年間は幸せだった」
娘は、父親である利彦さんにそっくりだった。
「まあお世辞にもかわいいとは言えないよね。女房が娘を連れていると、“似ていませんね”と言われて、女房は鼻高々だった。幼稚園に通い始めると、“お母さんは美人なのに、お嬢さんは……”と言われていたし、“ママに似ればよかったのにね”などと言われ続けていた。娘だって母親に似たかったでしょう」
いじめられることはないが、母親とは異なる容姿をときどきイジられた。
「娘は“ギャル”っていうの? 中学校時代は、茶髪にミニスカートみたいな服が好きだったんだけど、私そっくりの太い脚だとちんちくりんに見えてしまう。父親としては、年頃の娘が下着が見えそうな服を着て歩いているのが嫌だったので、ちょっとした嫌味を言ったんですよ。その日から娘が何も食べなくなった」
娘はもともと太っている体型を気にしていた。それを父親から指摘されたので、食べ物を拒否するようになった。
「何を言っても食べない。1か月で15キロくらい痩せたんじゃないかな。女房に言ったら“今までが太りすぎだったんだから、ちょうどいいのよ”と言う。自分に似ている息子ばかりかわいがっていましたからね」
結局、娘は体重が30台前半になり、入院をする。
「医師からは親子で呼び出されましたが、行ったのは私だけでした。妻は“は?なんであいつのために行かなくちゃいけないの?”って、あのときは初めて手を上げようと思いました」
利彦さんは妻に暴力を振るったことがない。浮気をされても耐えた。
「夫婦というのは、何があっても別れないものだと思っていた。妻が家を出てから10年になるけれど、今も籍は入っている」
妻は家を出て、別の男性と都内で住んでいるという。
「度重なる浮気に疲れ果てたところもあります。娘はそういう母親を見ていた。母から外見至上主義を刷り込まれていたので、今のような状況になってしまうのも仕方がない」
娘はダイエットの他に、美容整形を繰り返していた。
「実家に金の無心に来るたびに、顔が少しずつ変わっているんです」
【娘は2か月に1回くらい、「お父さん、貸して」とやってくる。 ~その2~に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。