完全に嫌いになれないから、それでも一緒にいる
大学を卒業して就職先が決まるも、都内の企業にしか採用されずに実家から通うことに。その少し前から父親はまったく家に帰ってくることはなくなり、親族の間では離婚で揉めていると噂されるようになっていたそう。
「おそらくですが、私と妹が知るずっと前に両親は離婚について話し合っていたと思います。その話を聞いたのは相変わらず口が軽い叔母からです。両親はすでにまったく一緒にいなくて籍を抜いていないだけという関係だったし、私たちももう大人でした。なのに離婚までは私たちが知ってからも2年ほどかかっていましたね。後から聞いた話なんですが、離婚を渋っていたのは母親のほうだった。そのときは世間体を気にしてなのかなって思っていました」
離婚が成立する前からお金も貯まったことで一人暮らしを計画していた敬子さんですが、なおも実家から通い続けます。そこには母親を不憫に思う気持ちがあったと言います。
「父がいなくなり、妹も専門学校を卒業後に就職で地方に行ってしまって、専業主婦の母親を一人で残しておくことが少し気の毒に思えてしまって。でも、一緒に暮らしていたとしても仲は良くありませんでしたよ。大人になるにつれて母親は私に、父親のことは『結婚してやったのに』、私たちのことは『育ててやったのに』とよく口にするようになりましたから」
そんな親子関係は今も続き、一定の距離を保つ努力を続けているとのこと。
「どんなに恩着せがましいことを言われても、実家を離れても、嫌いになれなかった。少しでも連絡が来ると無視できなくて、そうなると、もううまく付き合っていくしかないんです。私自身も職場でうまく対人関係を築くことができずに悩んだことがあり、母親もこんな気持ちをずっと持っていたんじゃないかなって思うこともあって。誰も側に居ないと、人間不安定になるんじゃないかなって。でも、歩み寄る気持ちにはなれませんし、今さら仲良くするつもりもない。親とは仲良くしなければいけないという思いを捨てられたきっかけは、会社で嫌いな人ともうまく付き合っていく術を学んだからでしょうか。30代後半でようやく大人になれた気がします」
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。