子どもが欲しいではなく、“夫の”子どもが欲しいという気持ちが当時はなかった
追い打ちをかけるように4人の子どもを出産した義母から心無い言葉を浴びせられます。
「夫は上に兄、下に妹2人の4人兄妹で私たち夫婦以外は全員子どもがいる状態でした。他の子どもたちはすんなり妊娠して、義母自身も4人の子どもができていることもあり、不妊治療については本当に無知で、限界まで頑張っている私に対して『もっとできることがあるんじゃない』とか、私が努力していないせいだと言いたいようでした。それに義母は孫の話を私たち夫婦の前でよくするんです。こんな気持ちを抱く自分も嫌になるんですが、聞きたくないのが正直な気持ちでした。そんな話を止めることも、私に気遣いの言葉をかけてくれることもない夫に対しても、一緒にいるのがいつしか辛くなっていきました。そして、私たちは話し合いで離婚することにしました。最初に離婚と言い出したのは私ですが、夫はとめてはくれませんでした。両親のような夫婦にはなれませんでした……」
不妊治療で仕事を辞めていた結子さんはその後しばらくは実家に戻り、療養します。
「離婚するときよりも、その前に不妊治療を行っていた病院に治療をやめる旨を伝えたときがリセットって感じでしたね。もうこの辛いターンを繰り返さなくていいんだと思うと少し心が軽くになりました。そう思うと、離婚なんて自分の中では大したことないとも思えたんです。あの生活は子どもありきで始まったから仕方ないと、お互い子どもというフィルター越しにしか夫婦をとらえていなかったんですよね」
離婚から6年、現在結子さんは再婚して新しい旦那さまと2人暮らしをしています。
「2年前に今の夫と再婚しました。夫も再婚で、元奥さんのところで暮らす子どもが1人います。子どもありきの夫婦生活って前の結婚を否定しておきながら、今の夫とも2年間不妊治療を続けました。そして今は納得して2人での生活を続けています。やめるときに、『ふたりでちょっとのんびりしようか』と言ってくれて。妊活を続けたいと言ったのも私で、やめたいと言ったのも私です。夫は最初から私と家族になりたいという気持ちを感じられたから自由にやらせてもらいました。今も治療をやめただけで自然な妊娠ができたらいいなってやっぱり少しは思っています。でも、それは子どもが絶対に欲しいというよりも夫の子どもが欲しいなっていう気持ちで。どうなるかわからないけど、両親のような夫婦を目指して、努力していきたいと思います」
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。