文/印南敦史

マスクを外すことができないまま、次の季節を迎えようとしている。新型コロナの勢いはいつまで続くのか。ひょっとすると本当に、何年もつきあい、共存していくことになるのか。

明確な答えはどこにもないが、そんな時代だからこそ江戸時代にヒントを求めるべきだと主張するのは、『安政五年、江戸パンデミック。~江戸っ子流コロナ撃退法』(立川談慶 著、エムオン・エンタテインメント)の著者。ご存知の方も多いだろうが、立川流真打の落語家である。

江戸時代とコロナ禍がどうつながるのかと疑問に思いたくもなるが、つまりは、「落語家を生んだ江戸の世を支えてきた江戸っ子達の生き方」にこそ、厳しいコロナ禍を乗り越えるヒントが豊富にあるということのようだ。

そして、そこで引き合いに出されるのが“談志の思考”である。

晩年「江戸の風」を唱えていた、江戸っ子の末裔たるわが師匠・立川談志が存命ならば、このコロナ禍をなんと言っていたでしょうか?
「何がコロナだ。焼夷弾落とされるよりはマシじゃねえか。何がコロナだ。梅毒はすげえぞ、ニーチェ殺(や)り、ゴーギャン殺り。人類は流行り病を乗り越えてここまで来たんだ。コロナなんざ新参者、怖がってどうすんだ」。バッサリのはずです。(まえがき 〜談志ならこの環境下をなんと言っているだろうか」より引用)

「江戸の風」とは、談志が最晩年にたどり着いた「よしとする落語の風情」。「そこに江戸の風が吹いているか」を大切にしてきたというのである。

江戸時代を愛した談志は、江戸の風を、匂いを、佇まいを感じられる落語しか後世に残らないのではないかという思いにすらなっていたと著者は考える。

そして、そんな師匠に思いを馳せるうち、いまこそ江戸っ子達から学ぶべきだという考えに至り、本書を執筆するに至ったというのだ。

この本は、私、談慶が談志の考え方、落語家的モノの見方を踏まえて、短期間で徹底吟味して作成した「読むコロナ特効薬」です。(まえがき 〜談志ならこの環境下をなんと言っているだろうか」より引用)

たとえば、その特効薬のひとつが、幕末の動乱期である安政5年(1858)に江戸の町を襲い、多くの人の命を奪った「コレラ」だ。文化方面では歌川広重、政治方面では薩摩藩主の島津斉彬(なりあきら)らがコレラで命を落としている。

その数字には諸説あるものの、江戸全体の死者数も約10万人、多いと約30万人といわれているという。

さらに文久2年(1862)には日本全国で流行し、江戸でも数万人が命を落とすことに。そればかりか明治以降も3~5年ごとに7度も繰り返され、20世紀になって収束したかと思えば「スペインかぜ」と呼ばれる別の疫病が登場したのだった。

ウイルスや細菌などを完全に制圧することはできないため、持久戦を覚悟して「特効薬やワクチンの開発までの時間稼ぎ」という選択肢しかないわけだ。いま目の間にある新型コロナウイルスもまたしかりである。

しかし、ここで注目したいのが、大きな衝撃を与えたに違いないコレラに対する江戸時代の人々の向き合い方だ。

この「コレラ」という病名ですが、潜伏期間は数日で、早いと急激に来るらしく、一気に脱水症状に陥り、発症し重篤になると二、三日で死んでしまったことから、「ころりと死ぬ」というような意味合いからでしょうか、「コロリ」という呼び名で庶民に定着していました。「コロナ」とよく似ていますね。(本書28ページより引用)

「たかが言い換えだ」と思いたくもなるかもしれない。しかし、著者はそこに江戸っ子のユーモアセンスを感じるという。

現代風に言えばパンデミック(感染爆発)であるはずの恐ろしい病気すら、思わず笑ってしまいたくなるような語感に置き換えてしまう余裕。それは、困難を笑いで乗り切ろうとする知恵だと考えることもできるからだ。

医学が未発達状態にあった江戸時代だからこそ、庶民は困難さえ「笑」に近いものに変換していたのかもしれない。だとすれば、そうした精神性は大きな「免疫力」だったとも考えられるのではないだろうか?

いずれにしても、こうしたエピソードを満載した本書は、とかく暗くなってしまいがちな現代人の心を浄化してくれる最適な一冊だとも言えるだろう。

『安政五年、江戸パンデミック。~江戸っ子流コロナ撃退法』

立川談慶 著
エムオン・エンタテインメント
定価:本体1400円+税
発売日:2020年8月

文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)などがある。新刊は『「書くのが苦手」な人のための文章術』( ‎PHP研究所)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。

 

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