創業は明治38年(1905)、一澤信三郎社長(74歳)の曾祖父の一澤喜兵衛さんが家庭用ミシンを手に入れ、衣類や職人用の道具入れなどを作り始めたのが端緒となる。その後、2代目の常次郎さんが米国製の工業用ミシンを導入し、厚手の帆布生地を使った業務用のかばんを作り始める。今でいうトートバッグの形状で、大工や電気工事、牛乳配達などの業務用かばんとして使われていった。
戦後は登山用具で名を高めたが、ナイロンなどの新素材が主流になると、主力を日用使いのかばんやリュックに変えていく。信三郎さんが4代目の社長に就く昭和の終わりころは、無骨ながら丈夫で機能的な一澤の帆布かばんは、京都以外の人たちにも、じわじわとその名が知られていき、知る人ぞ知る「ブランド」になっていった。
京都・東山の一澤信三郎帆布(信三郎帆布)の工場(こうば)を訪ねた。そこは70名ほどの職人が、日々かばん作りに勤しむ現場だ。職種は大きく分けて、裁断、ミシン(縫製)、下職の3つに分けられる。裁断は専門の職人がいるが、下職とミシンは主に2名ひと組の「チーム」で工程をこなす。下職は、ミシンで縫製するまでの下準備をする職種のこと。生地を木槌で叩き縫い代を折ったり、金具やベルトを取り付けたりと、ミシン以外のすべての作業を下職がこなす。
それぞれのチームでは取りかかるかばんが違うので、流れ作業ではない。ひとつのチームで完成、検品まで責任を持って行なう。また、ベテランになるとミシンと下職が何日かおきに入れ替わるのが信三郎帆布の面白いところ。互いの作業を熟知しているので、息もぴったり合う。職人のひとりは「相方の手元がよく見えるので、とても参考になる」という。
工場というより、個々の独立した職人の集まりという印象だ。反面、もっと分業化すれば、生産効率が上がるだろうとも思う。米国の学生が視察に来たときに「どうして効率化して会社を大きくしないのか。信じられない」と問われたという。
信三郎さんはこう語る。
「よう聞かれます。そんなときは、一日メシは3度でしょ。そんな5度も6度もメシ食えますか。ほっといて。と答えるんですわ(笑)」
職人が自分用に開発した
大きくしない。手間暇を惜しまない。数は限られるが、職人たちはひとつひとつの品を矜持を持って完成させることができるのだ。
ここで紹介するリュックは、40年、50年の超ロングセラーが珍しくない同社のなかで平成21年(2009)に発売された比較的新しい製品で、若い職人が自分用に考え開発した。パーツの数が多く、製作の難易度がもっとも高いかばんのひとつである。
楕円の筒形はシンプルで使いよい。背負うと安定し、混んだ車内などでは手提げでも使えるよう、大きめの持ち手が付く。正真正銘、職人がこだわり抜いて作り上げた自慢の品である。
取材・文/宇野正樹 撮影/稲田美嗣 スタイリング/有馬ヨシノ
※この記事は『サライ』本誌2023年10月号より転載しました。