今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「人の巧を取って我が拙を捨て、人の長を取って我が短を補う」
--木戸孝允

上に掲げたのは、明治の元勲のひとり、木戸孝允が遺したことばである。他者に学んで、その優れたところを取り入れ、自分の至らざるところ、欠点を補う。そうした心掛けの大切さを説いたものだろう。

木戸孝允は、ご存じのように、幕末の長州藩にあっては、はじめ桂小五郎として活躍していた。のち木戸貫治を名乗り、ついで準一郎、孝允と改名した。慶応2年(1866)1月、坂本龍馬を仲立ちとして、長州藩を代表し、薩摩藩代表の西郷隆盛との間に薩長同盟を成立させる大役を果たした。大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑とたたえられる所以である。

天保4年(1833)生まれ。父親は藩医の和田昌景。まもなく桂九郎兵衛のもとに養子に出され、桂小五郎となった。

松下村塾で知られる吉田松陰と親交を結び、江戸に遊学。斎藤弥九郎の道場で剣術を修養した。その後、尊皇攘夷運動に参加。その隆盛期に、長州藩を代表する形で諸藩の志士と接触し、広く知られる存在となった。禁門の変では、敗走後の処理をして但馬に潜伏。藩論の転換を見計らって帰藩し、藩政をリードした。

久坂玄瑞や高杉晋作ほどの、時代の水準をはるかに抜きんでた政策や路線を構想する器量はなかったが、上士としてのこの人の存在が、藩論をまとめ倒幕へと推し進める上で、重要な役どころを担ったのである。

明治新政府では参与、参議などを歴任。岩倉遣欧使節団の副使として米欧視察もおこなった。だが、大久保利通との対立もあって、存在感はやや薄い。長州を代表する顔も、伊藤博文や山県有朋へと推移していった感がある。

そんな中にあって、木戸は、急変する時代の波を受けた士族の地位と、生活の維持に、心を砕いたという。こんな縁の下の力持ちのような役回りが、木戸には一番似合っていたのかもしれない。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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