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修善寺の大患!夏目漱石、大吐血し死の瀬戸際に至る。【日めくり漱石/8月24日】

3 夏目漱石 2
今から106 年前の明治43年(1910)8月24日、43歳の漱石は伊豆・修善寺の菊屋旅館にいた。持病の胃潰瘍による入院加療のあと、転地療養のためこの地に足を運んで、19日目を迎えていた。

この日、漱石は朝から胃の調子が悪く、顔色もまるで半紙のように白かった。東京から呼び寄せられていた妻・鏡子の手によって、夕刻、水のみで牛乳を飲ませてもらったあと、東京の長与胃腸病院から副院長の杉本東造が到着し、診察を受けた。先に同病院から修善寺に送り込まれていた主治医の森成麟造も、傍らに控えていた。

このときは、病状はそれなりに落ち着いているように見えた。診察を終えると医師たちは、ひと風呂あびて夕食でもということになり、いったん別室に引き上げていった。鏡子が話でもしようと思って枕辺に寄ると、漱石は苦しさに表情を歪めた。

「気持ち悪いですか?」

鏡子が思わず尋ねる。尋ねる方はもちろん心配しているのだが、具合が悪いときに「大丈夫?」などと訊かれると答えるのも大儀で、つい「ほっといてくれ」などと思ってしまう。病人とは、えてしてそうしたものである。漱石もこのとき、苦し紛れにつっけんどんに突き放すように口走った。

「あっちへ行っててくれ」

そして仰向けの体勢から、右を下に寝返りを打とうとした刹那、漱石はげえっという声を上げて血を吐いた。

こういうとき鏡子は肝がすわっている。夢中の中でたじろぎもせず、漱石を支えながら、なりふり構わず大声で廊下の女中や番頭を呼びつけ、医者を呼び戻してもらうように頼んだ。漱石はその間も鏡子に掴まったままさらに夥しい血を吐く。鏡子の着物は胸から下が一面紅に染まった。

すぐに医者たちが駆けつけた。

漱石は人事不省に陥りほとんど死にかけていた。なんとか助けようと、医師たちはカンフル注射を立て続けに打つ。それでも意識は戻らぬから、もう1本、もう1本と追加する。その数はとうとう16本を超え、もはや医師たちも数えるのをやめてしまった。
30分ほど経過するうち、閉じかけた死の扉の隙間をすり抜けるように、漱石はどうにか意識だけは取り戻した。が、相変わらず危うい状態は続いていた。医師たちは漱石の脈をとりながら、小声で、

「弱い」
「駄目だろう」
「子供に会わしたらどうだろう」

といった会話を交わしていく。

漱石はそれを、不思議にせいせいとした心持ちで聞いていた。

まだ半ば臨死状態ででもあったのだろうか。日頃の苦痛の固まりを一度にどさりと、うっちゃりきったというような落ち着きが、衰弱しきった体の奥に沈んでいた。

■今日の漱石「心の言葉」
多量の血を一度に失って、死生の境に彷徨していた(『思い出す事など』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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