今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「男は喋るな、泣くな、白い歯は一生のうちに三度も見せればいい」
--笠智衆
俳優の笠智衆といえば、多くの人がまず頭に思い浮かべるのは、映画『男はつらいよ』シリーズの御前様の役柄ではないだろうか。柴又帝釈天(題経寺)の住職にして、渥美清演じる寅さんが唯一頭のあがらない存在が、御前様だった。
笠の座右の銘は「春風如在」だったという。そのことばの通り、朴訥、飄々たる演技で人々を惹きつけた。そもそもが小津安二郎作品に欠かせない名優であった。
そんな笠は、明治37年(1904)熊本の生まれ。掲出のことばは、生前の笠が長男に言い聞かせていたもの。いかにも、明治生まれの九州男児にふさわしいが、なかなかここまで言い切れるものではない。花観夫人も夫の笠智衆を、「鉄の玉を真綿でくるんだような人」と評していた。
笠は愛妻家だった。つねづね、「わしは女房のいうことを聞いていれば間違いないんじゃ」と言っていた。その花観夫人が亡くなった葬儀のときも、親類たちが皆泣いている中で、笠は涙も見せずじっと1点を見つめたままだったという。
だが、伴侶を失った悲しみは泣き顔にあらわれずとも、もっと深く笠の体内をえぐっていたのだろう。心的ストレスから、2か月後に笠はガンを発症。医師の勧める手術も「わしは、いい」と拒絶し、やがてそのまま静かに夫人の後を追っていったのである。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。