後鳥羽院、正式には後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)は、鎌倉時代を代表する院政の主でした。高倉天皇の第四皇子として治承4年(1180)に生まれ、後白河法皇の孫にあたります。
幼名は尊成親王(たかひらしんのう)で、寿永2年(1183)にわずか4歳で即位し、第82代天皇となりました。即位は神器なしという異例の形でしたが、19歳の建久9年(1198)に譲位し、上皇となります。
彼の最大の特徴は、「文武両道」を極めた万能の天才であったということです。
和歌の才能は当代随一であり、『新古今和歌集』の編纂を自ら主導しました。藤原定家ら優れた歌人を集め、日本文学史に燦然と輝く功績を残しています。しかし、彼の才能はそれだけにとどまりません。琵琶などの管弦、蹴鞠(けまり)、さらには刀剣の鑑定や自ら作刀を行うほど、多趣味で才能に溢れていました。
一方で、鎌倉幕府から政権を朝廷に取り戻そうと「承久の乱」を起こしたことでも知られています。しかし、北条政子率いる幕府軍に大敗し、結果として隠岐(現在の島根県)に流罪となってしまいます。文化人としての頂点から一転、孤島での配流生活を送ることになった彼の生涯は、まさに波乱万丈そのものです。

後鳥羽院の百人一首「人もをし~」の全文と現代語訳
人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は
【現代語訳】
人が愛おしく思える時もあれば、恨めしく思える時もある。(思い通りにならない)この世の中をつまらないものだと思うがゆえに、あれこれと悩んでしまう私であるよ。
『小倉百人一首』99番、『続後撰集』1199番に収められています。
後鳥羽院33歳、承久の乱のほぼ9年前の詠作です。この歌には絶対的な権力を持っていたからこその孤独と葛藤が表現されています。
為政者として多くの人を評価し、時に冷酷な決断を下さねばならない立場。自分の思い通りに動いてくれる人は愛おしいが、意に沿わない者は恨めしい。権力の頂点にいながらも、人間の心の機微や世の無常さに振り回され、深く悩んでいる一人の人間の生々しい感情が伝わってきます。

後鳥羽院が詠んだ有名な和歌は?
百人一首の歌以外にも、後鳥羽院の非凡な才能を示す有名な和歌を2首紹介します。
見わたせば 山もとかすむ 水無瀬川 夕べは秋と なに思ひけむ
【現代語訳】
見渡してみると、山のふもとは霞み、水無瀬川のほとりには春の夕暮れが広がっている。どうして昔の人は「夕べは秋」と言ったのだろうか。
『新古今和歌集』36番に収められています。
春はあけぼの、秋は夕暮れという美意識は古くからありましたが、この歌では春の夕暮れの美しさを静かに提示しています。霞む山もとと水辺の景が、やわらかく溶け合うように描かれ、いかにも新古今的です。後鳥羽院の繊細な美意識がよく表れています。

奥山の おどろが下も 踏み分けて 道ある世ぞと 人にしらせむ
【現代語訳】
奥山のいばらの茂みも踏み分けて、正しい道(立派な政治が行われる世)があるのだと人々に知らせよう。
『新古今和歌集』1635番に収められています。「おどろ」とは茨などのトゲのある低木のこと。困難を切り開いてでも、正しい世の中を築いていくのだという、為政者としての強い意志と気迫が感じられます。
承久の乱を起こすことになる彼の、並々ならぬ情熱が垣間見える一首です。
後鳥羽院、ゆかりの地
後鳥羽院ゆかりの地を紹介します。
水無瀬神宮
大阪府三島郡島本町にあります。後鳥羽院がこよなく愛した離宮「水無瀬殿」の跡地に建てられた神社で、後鳥羽院、土御門院、順徳院が祀られています。名水百選に選ばれた「離宮の水」が湧き出ており、静寂に包まれた境内を歩けば、華やかな和歌の宴が催された往時をしのぶことができます。
隠岐神社
承久の乱で敗れた後鳥羽院が、崩御するまでの19年間を過ごした隠岐の島にあります。後鳥羽院を祭神として昭和時代に創建されました。配流の地での孤独な生活の中でも、彼は和歌を詠み続けました。
この地を訪れると、都を遠く離れた島で、彼が何を思い海を見つめていたのかと胸が締め付けられるような感慨にふけることができます。
最後に
「人もをし~」の歌は単なる感傷ではありません。後鳥羽院の人生は、栄光と挫折の交錯。人を愛おしみ、恨み、世を思うゆえの思い悩みは、現代の私たちにも通じるものがありますね。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp











