文/濱田浩一郎

姉川の戦いにおける秀長
『絵本太閤記』は、江戸時代中期に書かれた読本(小説の一種)であり、豊臣秀吉の生涯を描いたものです。大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公は秀吉の弟・秀長ですが、秀長は同書ではどのように記述されているのでしょうか。秀長が同書で初めて登場するのは、永禄10年(1567)の織田信長による美濃斎藤氏攻めの時です。秀吉と秀長の見事な連携プレイにより、斎藤氏の稲葉山城を陥落に追い込む様は前に見た通りですが、ではその後は秀長はどのように描かれているのでしょうか。
稲葉山城攻めの後で秀長が登場するのは、それから3年の時が流れた姉川(滋賀県長浜市)の戦い(1570年)の時です。姉川の戦いは、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍との合戦ですが、同書によると、その時、秀吉は浅井方の磯野丹波守(員昌)の軍勢と戦っておりました。その戦には「木下小市郎」―つまり秀長も参加しておりました(基本的には秀長で記述していきます)。秀吉軍は左右から磯野の軍勢を攻めたのですが、秀長は「右の方」から磯野軍を攻撃しています。左右合わせて2千余の軍勢と鉄砲の兵8百が攻撃を仕掛けたこともあって、磯野方は3百人が死亡、負傷者は多数に上ったとのこと。しかしこの時には、稲葉山城攻めで見たような秀長の活躍といったものは記されていません。
天正元年(1573)9月、信長を苦しめてきた北近江の浅井長政は居城(小谷城)でついに自害しますが、その小谷城攻めの時にも『絵本太閤記』には秀長が登場しています。織田の大軍による攻囲に「勇気」を失った浅井方の三田村氏と小野木氏は忽ち降参し、外構えを開きます。そして織田軍を導き入れるのです。その時、秀長と竹中半兵衛の軍勢は城中に陣を取り、長政がいる本丸と久政(長政の父)の出丸(曲輪)との連絡を断ち切ったと同書には書かれています。これにより、浅井方の士気はいよいよ低下し、ついに久政は自害に追い込まれます。
ちなみに『信長公記』(信長家臣の太田牛一が著した信長の一代記)には、同年8月27日に秀吉軍が小谷城の城郭である京極丸に攻め込み、久政・長政親子の間を遮ったとは書かれていますが、秀長の動きについては記されていません。
敵軍に猛攻を加える「猛将」秀長
秀長の活躍が『絵本太閤記』で記されているのは、天正7年(1579)、三木城(兵庫県三木市)を居城とする別所氏との戦の時です。三木方の軍勢1千余騎が秀吉の本陣に攻め来ったのですが、その時、秀吉の「旗本」は少しも慌てず騒がずこれを迎え撃ちます。この時、秀長は三木方の将・大野大八郎と槍を合わせ、大野を「馬より下に突伏た」と言います。秀長のみならず、秀長の郎党も力の限り戦い、三木方の武将を討ち取ったとのこと。秀長には余り一騎討ちのイメージがありませんが、『絵本太閤記』には秀長の武勲も記されているのでした。
摂津と播磨の国境にある別所方の砦(丹生山城)には兵糧が数多蓄えられていましたが、秀吉は秀長に同砦を攻めよと命じます。秀長の軍勢は風雨激しき夜に丹生山の砦に忍び入り、放火。慌てふためき、同士討ちを始める別所方。その時、麓にいた秀吉軍は鬨の声を上げて攻め上り、ついにこれを落とすのです。同書によると、秀長は何の辛苦もなく同砦を落城に追い込んだのでした。これまた稲葉山城攻めの時のことを彷彿とさせるような「豊臣兄弟」の連携プレイです。
さて同書によると、天正6年(1578)、秀長は丹波国の波多野氏を攻めていますが「羽柴が先陣」(平手伊賀守と平手監物)が敵方により討ち取られてしまいます。先鋒の将を敵方に討ち取られたことに「大に怒」ったのが、秀長でした。秀長は波多野宗貞らが籠る久下城を十重二十重に包囲し、昼夜を分たず、攻め続けたのです。秀長軍の猛攻に最早これまでと観念した宗貞は最後の酒宴を開き、切腹して果てます。
続いて秀長は氷上城の波多野宗長を攻めます。秀長は少々、鉄砲を打ちかけただけで、降伏を勧める使者を宗長に送りますが、宗長はこれを拒否。ならば一気に攻め潰さんとして、秀長は城外に夥しい柴を積み上げます。そして柴に火を付ける。火攻めにしようとしたのです。宗長もまた最早これまでと切腹して果てます。西丹波を平定した秀長はこの旨を、信長に報告。同時に播磨の三木氏との戦いに臨みたいと要望するのでした。
この秀長の要望に信長は大いに感じ入ったと『絵本太閤記』にはあります。信長は秀長の要望を受け入れ、丹波から播磨に向かうことを命じるのです。『絵本太閤記』には、敵を槍で倒したり、激怒して城に猛攻を加えるなど、なかなかに激しい秀長が描かれており、興味深いものがあります。
文/濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

兵庫県相生市出身。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師、大阪観光大学観光学研究所客員研究員を歴任。現在、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。
著書『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)、『超口語訳 方丈記』(東京書籍のち彩図社文庫)、『中学生からの超口語訳 信長公記』(ベストブック)、『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社)その他多数。











