文/濱田浩一郎

淀君に仕えた女性が見た大坂城最期の日
豊臣秀吉が築いた大坂城、その落城寸前の光景を目の当たりにしていた1人の女性がいました。それは同城にて淀君(秀吉の側室。秀頼の母)に仕えていた「きく」という女性です。きくは、大坂城の落城の日(1615年5月7日)、長局(奥女中の部屋が多く続いていた場所)におりました。いわゆる大坂夏の陣、徳川方に攻められて落城間近の大坂城ではありましたが『おきく物語』(きくの回顧録)によると「まだまだ落城など思いも寄らぬ」雰囲気だったと言います。きくの側には、たまたま蕎麦粉があったので、彼女はそれを取り出し、下女に「蕎麦焼きにして来たれ」(蕎麦焼きにしてきて)と命じます。よってその下女は御台所に向かいました。その後で玉造やその他の方面が「焼けている」と城内で騒ぎとなります。
その話を聞いて、きくは千畳敷の縁側に行ってみたそうです。その縁側からはどこまでもよく見渡せたのです。そこで、きくは先程の話のように、諸所から火の手が上がっているのを目撃します。一旦、局に帰ったきくは、帷子を取り出して3枚も重ねて着用。腰巻きも3枚重ねて着ます。そして豊臣秀頼公から拝領した鏡を懐に入れて、御台所に向かうのです。
御台所には黒の具足を付けた武田栄翁(豊臣方の武将)や見知らぬ侍が2人ほどおりました。その見知らぬ侍は、女中に向かい「肩の傷口を見てくだされ。上帯も締めてくだされ」と呼ばわっていたのですが、その女中は侍の声を聞きながら、どうしたことか、そそくさとその場を立ち去ったのです。負傷者の手当てをすることに恐れを抱き、立ち去ったのでしょうか。
武田栄翁は「女中方、ここから出てはならぬ」と忠告していたのですが、その女中は構わず、出て行ってしまったのです。きくもまた城外に出てみると、そこには竹束(丸竹を束ねて銃弾や矢を防ぐ)がありました。そこに武者は1人もおりません。ただ、竹束の陰に、単衣ものを1枚着た男が錆刀を持って立っているのが見えるではありませんか。しかもその男は「金を持っているなら出せ」などと不穏なことを言う。きくの懐中にはちょうどその時、金がありましたので、それを取り出して、男に与えます。抵抗したりすると危険な目に遭う可能性もあるので、きくは大人しくその男の要求に答えたのでしょう。きくの凄いところは、その後、その男を上手く利用しているところです(怖くなってその男のもとからすぐに立ち去っても良いようなものですが)。きくはその男に「藤堂殿(徳川方の武将)の御陣はどちらか」と問います。男が「松原口」と答えると「そこに連れて行ってくれたら、また金をやるので、そこまで案内して欲しい」と頼むのでした。その男は金に目が眩んだのか「いざ、こちらへ」ときくを松原口まで案内します。
過酷な乱世 豊臣家に仕えていた侍女たちも処罰される?
その途上では、「要光院殿」(これは常高院の誤り。常高院は京極忠高の母。淀君の妹)が侍におぶさり逃げている光景が目に飛び込んできます。その後からは女中や侍が付いていくのも見えました。きくはこの一行に付いていくことを決意。側に駆け寄り、お供するのです。一行は森口(現在の守口市)の民家に立ち寄ります。そこでは、筵を敷き、古畳を2畳取り出して、常高院を畳の上に座らせることになりました。他の者は筵の上に座ります。そこには行器(ほかい。食べ物を入れて持ち運ぶ器)があり、強飯(赤飯)が盛られていました。一同はそれを紙に載せて食べたのです。この強飯は常高院の息子(京極忠高。忠高は徳川方)から届けられたもののようです。
常高院は和睦の使者として大坂城に入っていましたが、それも虚しくなり、ついに城から脱出したのでした。常高院のお供の女中のなかには、秀頼公が日頃、召し使っていた者もおりました。山城忠久の娘です。しかしその娘は、帷子1枚、腰巻1枚しか身につけていません。それを難儀だろうと案じたきくは、自らの帷子、腰巻を1枚ずつ彼女に与えたのです。この事から、きくが思いやりのある女性だったことが分かります。
そうこうしているうちに、常高院は徳川家康の召しがあり、民家から出立することになりました。迎えの乗り物も到着します。その際、常高院は女中らに「そなたたちは女の身であるが、大坂城にいた者たちなので、将軍様からどのような仰せがあるか分からぬ。できるだけ良いように申し上げるようにはするが、将軍様の御命令に背くことはできない。よって覚悟はしておくように」と伝えたといいます。つまり、豊臣家の女中であるので、どのような処罰があるか分からない。覚悟しておいた方が良いと伝えたのです。この残酷な伝達に女中らは大いに悲嘆したとのこと。戦場で槍を振るった訳でもない女房(女中)衆まで罪に問われる可能性があったのです。殺伐とした時代と言えるでしょう。
文/濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

兵庫県相生市出身。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師、大阪観光大学観光学研究所客員研究員を歴任。現在、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。
著書『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)、『超口語訳 方丈記』(東京書籍のち彩図社文庫)、『中学生からの超口語訳 信長公記』(ベストブック)、『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社)その他多数。











