文/濱田浩一郎

盗人疑惑をかけられた秀吉はどうしたか?
大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、木下藤吉郎(秀吉)が盗みを働いたというエピソードが展開されましたが『太閤記』(江戸時代の儒学者・小瀬甫庵が著した秀吉の伝記)には、秀吉に盗みの疑惑がかけられたという逸話が記述されています。この盗み疑惑に秀吉はどのように対処したのでしょうか?
ことの起こりは永禄6年(1563)。秀吉が仕える織田信長は西美濃の要所に火を放つべく、兵を進めます。その夜、美濃の墨俣に宿営した織田軍。多数の軍兵が宿営したわけですが、その中には、福富平左衛門尉という武士もおりました。平左衛門尉はその時、金竜の面指(笄)を紛失してしまいます。人々は「この辺りに誰かいなかったか」と犯人探しを始めますが、あたかも秀吉が面指を盗んだのではと言わぬばかりの言い様でした。秀吉は面指など盗んでいなかったので、この言われように当然、大いに立腹します。しかし誰に向かい、この怒りをぶつけて良いのか。ましてや、盗みの疑惑をかけられたからと言って、命を捨てるほどのことでもない。こう思った秀吉は計略でもって盗人を捕まえて冤罪を晴らそうと考えるのです。
秀吉が先ず、急いで向かったのは津島(愛知県西部)でした。秀吉は津島の質屋に向かい、面指の様子について話した後で「もし質に入れに来た者があったならばすぐに知らせに来て欲しい」と伝えるのです。知らせてくれたら「黄金10枚」を褒美として渡すことも秀吉は質屋に伝えています。
津島の堀田孫右衛門尉という金持ちと秀吉は知り合いでしたので、秀吉は堀田家を宿にして好便を待ちました。そうしたところに「盗人が面指を質入れし、銭5貫文を借りに来た」との知らせが入ります。こうして秀吉は孫右衛門尉と謀って、無事に犯人を捕えることに成功するのです。秀吉はとても喜んだと『太閤記』にはあります。
盗人を捕まえた秀吉に信長は何をしたのか?
牛頭天王の宝前に詣でた後で秀吉は盗人を連れて、西美濃の陣に戻るのです(盗人は津島の役人に連行させます)。その頃までに信長は敵陣を焼き払い、帰陣していました。信長は、涙を流して道端に控えている秀吉を見つけます。その横には捕えられた盗人がおりました。信長は「この罪人は何者ぞ。お前はなぜそのように嘆いておるのか」と秀吉に尋ねます。秀吉は次のように信長に答えました。
「そのことにございます。先夜、墨俣にて福富平左衛門尉が面指を失くしました。それを皆が私が盗んだと言わぬばかり。私は真犯人を捕まえようと津島の質屋に行き、もし質に入れに来た者があったならばすぐに知らせに来て欲しい、知らせてくれたら黄金10枚を褒美として渡すことを伝えておりました。そして堀田孫右衛門尉の邸を宿所とし盗人が現れるのを待っておったのです。その後、盗人が質入れに来たところを捕えたのでございます。私を疑った者たちへの面当てにこの盗人を陣中で引き回し、その後、処刑しようと思いここまで連れて参りました。ただこのような疑いを受けたのも、偏に我が身が貧しいためと感じ、涙を流していたのでございます」と。
秀吉の返答を聞いて、信長は哀れに思い、日頃から秀吉が主君(信長)に諫言・直言してきたことを「生まれながらの性質」とし称賛するのでした。それだけでなく同書によると、信長は褒美として黄金と百貫に相当する領地を秀吉に与えたとされます。
ちなみに『太閤記』において秀吉は信長を恐れることなく、ズバズバと進言しています(例えば、居城を小牧山に移すことなど)。時に信長は差し出がましいと秀吉を叱責することもありましたが、秀吉の方はそれを恨みに感じることはなく、直言を続けたとのこと。織田の家臣らはそれを見て「あれほど面の皮が厚いのは見たことも聞いたこともない」と秀吉を嘲ったようですが、秀吉は気にすることなく、進言したと言います。
さて『太閤記』の本逸話では、秀吉は自ら動いて盗人を捕まえて、冤罪を晴らしています。秀吉が生きた中世は「自力救済」の時代とよく言われます。自力救済を簡単に説明すると「公権力に頼ることなく、自分が被った損害は自分の力でどうにかする」ということです。『太閤記』の秀吉も公権力に頼らず、犯人を自分で捕まえて名誉を保っていました。『太閤記』のこの逸話は創作と思われますが、中世社会の実態をよく現しているものでもあるのです。
文/濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

兵庫県相生市出身。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師、大阪観光大学観光学研究所客員研究員を歴任。現在、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。
著書『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)、『超口語訳 方丈記』(東京書籍のち彩図社文庫)、『中学生からの超口語訳 信長公記』(ベストブック)、『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社)その他多数。











