物語は、心に蒔かれた種である。幼いある日に読んだ漫画の小さなフレーズが思いもかけずに蘇ってくることがある。生きてきた道を振り返ると、いくつもの岐路で物語の断片たちは、標となり灯火となって私たちを導いてきた。人生を変えた名作漫画に、再び出会う。

1979年生まれ。白百合女子大学准教授。早稲田大学法学部卒業、同文学研究科博士後期課程満期退学。『少女マンガのブサイク女子考』(左右社)、『女子マンガに答えがある』(中央公論新社)ほか、食に関する執筆、著作も多数。
「大人の女たちの七転八倒する姿が、私を暗黒パチンカス時代から救い出してくれました」
「人生のどん底。一番しょうもなかった」と自身の大学院生時代を評するトミヤマユキコさん。トミヤマさんは日本の近現代文学を専攻していたものの、鳴かず飛ばず。毎日パチンコに通う当時を“暗黒パチンカス時代”と振り返る。
ある日、パチンコで負けた帰りに古書店の100円コーナーで手に取ったのが安野モヨコ『ハッピー・マニア』(祥伝社)だった。
「主人公カヨコの、人生ままならぬ、仕事も男も続かない姿に自分と共通点を感じました」
『ハッピー・マニア』は“恋の暴走機関車”とばかりに理想の男を追い求め、仕事と友人関係で七転八倒する女性カヨコが主人公だ。
「私はカヨコのことを“どっこい生きている”と呼んでいるんですけど、不安があろうとも、やけに元気で友だちと仲よくして食って寝て、本能に忠実に生きている。そんな逞しいカヨコを見ていたら、論文を書けなくてクヨクヨしている自分がバカバカしくなった。同時に漫画ってなんと面白いのかと気づかされました」
幼少期から漫画と関わる体験が少なく、文学研究一筋だったトミヤマさんは、自分を勇気づけた漫画を研究対象にしようと考えた。
「杉本章吾さんの博士号論文『岡崎京子論』を知り、漫画でも博士号を取れるなら、と指導教員に漫画の研究をしたいと伝えました」
こうして論文『現代少女マンガにおける女性労働表象の研究』の一部を書き、発表すると……。
「文学の論文はスルーされていたのに、漫画の論文には反応があった。褒められるばかりではなかったですが、関心を持たれたことにとても驚き、道が開きました」
カヨコもトミヤマさんも就職氷河期世代。でも規定路線から外れた自由も楽しめた世の中だった。
現在大学の授業で『ハッピー・マニア』をテキストに用いるが、「令和の学生たちは受け取り方が違うようで、カヨコの計画性のなさに風当たりが強い。モテたいならば自分磨きをするべきなど現実的。自由を許せないほど、今の学生は真面目で慎重です。そんなふうに読み手(学生)を定点観測すると社会が見えてくるのも漫画研究の面白さです」

『ハッピー・マニア』安野モヨコ著
1995年から雑誌『FEEL YOUNG(フィール ヤング)』(祥伝社)で連載。バブル崩壊後、就職氷河期のリアルを掬い取り、定職につかぬまま恋愛に夢中で刹那的に生きる等身大の成人女性を描いた。続編として2019年より『後ハッピー・マニア』が開始し、2025年11月に完結。
祥伝社(電話:03・3265・2081)*絶版。ただし文庫判(全6巻)各628円、新装版(全8巻)各792円がある
『しんきらり』やまだ紫著
’80年代に雑誌『ガロ』で連載された。主婦であり母である主人公の心の機微を、何気ない日常から描く。「現況を変えようとする主人公の勇気が生き生きと描かれていることに感動します」(トミヤマさん)
光文社文庫(電話:03・5395・8147) 880円
『プリンセスメゾン』池辺葵著
年収270万円の女性主人公が理想の“家”を探し求める物語。不動産デベロッパーとのコラボ作品ゆえ、「購入に必要な金銭などが正確。読むとその気になりマンションが欲しくなる。実用漫画の進化は巧みです」(トミヤマさん)
小学館文庫(電話:03・5281・3556)607円
『ちひろ 新装版』『ちひろさん』安田弘之著
風俗嬢のちひろを主人公に、夜の街を生きる人びとを描く『ちひろ』。風俗嬢をやめて小さな弁当屋で働くちひろを中心に町で暮らす人々の苦悩と心の癒やしを描く続編『ちひろさん』。大人全員に薦めたいというトミヤマさんにとって生き方の参考書であり経典。(C)安田弘之/秋田書店
秋田書店 各748円
取材・文/すずきたけし 撮影/湯浅立志

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