猿丸大夫(さるまるだゆう)の正体は、何一つわかっていません。生没年不詳、素性不明。それどころか、実在した人物かどうかさえ定かではないのです。平安時代に編纂された『古今和歌集』にこの一首が収められ、「猿丸大夫」という名前が記されているのみ。
彼は、まさに謎に包まれた伝説の歌人なのです。しかし、藤原公任が撰んだ三十六歌仙の一人であるため、定家は不審なことを承知で歌を優先し、百人一首に採ったようです。
あまりに情報が少ないため、後世の研究者や歌人たちは、聖徳太子の息子、弓削王(ゆげのおおきみ)説、『万葉集』の歌聖、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)と同一人物、あるいはその変名説など、様々な説を唱えてきました。
「大夫」(たいふ・だゆう)というのは、五位以上の官位を持つ人物を指す言葉であり、ある程度の身分の人物であった可能性も示唆されます。しかし、確かなことは何もありません。この「正体不明」という神秘性が、かえって私たちの想像力を掻き立て、人里離れた奥山で孤独に歌を詠む、仙人のような人物像を思い描かせるのかもしれませんね。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
猿丸大夫の百人一首「奥山に~」の全文と現代語訳
奥山に もみぢ踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき
【現代語訳】
人里遠い奥深い山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら鳴いている鹿の声が聞こえてくるとき、ああ、とりわけ秋という季節は悲しいものだと感じるなあ。
『小倉百人一首』5番、『古今和歌集』215番に収められています。この歌の素晴らしさは、情景描写の巧みさにあります。
まず、「奥山に紅葉ふみわけ」。これは鮮やかな「視覚」の情報です。一面に広がる燃えるような紅葉の絨毯。その上を、主人公(あるいは鹿自身)がカサカサと音を立てて分け入っていく。読者は一瞬にして、静寂と色彩に満ちた秋の山の奥深くへと誘われます。
次に、「鳴く鹿の声きく時ぞ」。これは切ない「聴覚」の情報です。古典和歌の世界で、秋に鳴く鹿の声は、多くの場合「妻を求めて鳴く雄鹿の声」とされています。その声は、孤独や愛情、満たされない思いを象徴するのです。遠くから聞こえてくる、悲しげで高いその声が、山の静寂を一層際立たせます。
そして、この視覚と聴覚の情報が最高潮に達した瞬間、下の句で「秋は悲しき」と、万感の思いが吐露されます。注目すべきは「ぞ」という強調の助詞。これにより、「声を聞く、まさにその時こそ、たまらなく秋の悲しみが身にしみるのだ」という、強い感動が生まれます。
個人の具体的な悲しみの原因には一切触れず、ただ目の前の情景と音を描写するだけで、聞き手の心に普遍的な「秋の悲しみ」を呼び起こす。これぞ、和歌の真骨頂と言えるでしょう。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
猿丸大夫が詠んだ有名な和歌は?
前述したように「奥山に~」のほかに確実に彼の作とされる歌は存在しない、というのが通説です。確かに『猿丸集』という家集があり、五十首あまりを載せていますが、その多くは『万葉集』の異伝や『古今和歌集』の作者不詳歌(読み人しらず)と重なっており、後世の寄せ集めとみられます。
古くは「古今集には猿丸大夫の歌が多く入ったが名乗らずに収めた」という説もありましたが、信頼できる自筆歌集は残されていません。したがって、現代では彼の歌として確実なものはこの一首に限られます。

猿丸大夫、ゆかりの地
謎であるからこそ、人々は彼を偲び、日本各地に伝説の地が生まれました。ゆかりの地を紹介します。
猿丸神社(京都府宇治田原町)
猿丸大夫を御祭神としています。「猿丸さん」と呼ばれ、古くから「こぶ」(腫れ物)にご利益があるとされ、多くの参拝者が訪れます。緑豊かな宇治田原の山中にあり、まさに「奥山」の雰囲気を今に伝える場所です。彼の歌の世界に浸るには最適の地と言えるでしょう。
猿丸神社(石川県金沢市笠舞)
金沢市にも同じく猿丸大夫を御祭神とする猿丸神社があります。この地に逗留していたとされ、笠舞の地名も、猿丸太夫がかぶっていた笠が風のため急に舞いあがったのを見て、名付けたと伝えられています。
最後に
猿丸大夫という歌人は、謎に包まれているからこそ、かえって私たちの想像力を刺激してくれます。実在した人物なのか、それとも伝説上の存在なのか。その答えは分かりませんが、残された歌の美しさは疑いようがありません。秋の夜長、この歌を口ずさみながら、遠い昔の奥山に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp











