越前から京に戻るまひろ
I:さて、まひろは結局任期4年の父をしり目に在越1年で京に戻ることになりました。やはり越前の雪に耐えられなかったのでしょうか。
A:京都の冬も寒いですけどね。まあ、いろいろな思いがないまぜになっての帰京なのでしょう。道長が自分の結婚を知って、他人事のように受け応えていたと聞かされて、踏ん切りがついたんでしょうね。
I:ということで、まひろが帰京する道中に詠んだのが、「磯がくれおなじ心にたつぞ鳴く なが思ひ出づる人やたれぞも」です。「私と同じ気持ちで鶴が鳴いているよう。どんなことを思い出しているの? 誰のことを思い出しているの?」という歌でしょうか。劇中のことでいえば、周明(演・松下洸平)のことを思い出したりしているのでしょうか。
A:なんだか面白いのは、船の中で乙丸(演・矢部太郎)のとなりに女性がいたことでしょうか。後でその素性が明らかになりますが 、まひろが好んで食していたウニを採っていた海女さんということでした。人のご縁というのはほんとうに予測不能。そんなことを改めて思わされました。
I:その京都には、いと(演・信川清順)のもとに福丸(演・勢登健雄)がいました。後半になりますが、いとが「みな歌がうまい男がよいとか、見目麗しい男がよいとか、富がある男がよいとか、話の面白い男がよいとか申しますけど 、私は何もいりません。私のいうことを聞くこの人が尊いのでございます」という含蓄ある台詞を発していました。「わかる~」と膝を打った人は多かったのではないでしょうか。
A:そうですか。やはりいうことを聞いてくれる人がいいのですね。
I:京の為時家がにぎやかになりました。酒を持って来た宣孝が当時の流行歌謡「催馬楽(さいばら)」を披露しました。乙丸の横にはきぬ(演・蔵下穂波)、いとの横には福丸。身近の親しい人々が笑顔で酒を酌み交わす……。為時家の「幸せな一日」が描かれたということになります。
A:そうですね。やはり身近な人と笑顔で食事を楽しめるって幸せなことですよね。
I:このとき、宣孝が歌っていたのは催馬楽の呂歌「河口(かはぐち)」でした。
♪河口の 関の荒垣ヤ 関の荒垣ヤ 守れども ハレ かはぐちの せきのあらがきや せきのあらがきや まもれども はれ 守れども 出でゝ我寝ぬヤ 出でゝ我寝ぬヤ 関の荒垣 まもれども いでゝわれねぬや いでゝわれねぬや せきのあらがき♪
A:呂律がまわらない、の呂律の語源は、催馬楽の呂歌と律歌からだそうです。呂はド・レ・ミ・ソ・ラの五音、律はド・レ・ファ・ソ・ラの五音から成ります。
I:『源氏物語』ではけっこう催馬楽が採用されています。「梅枝」「竹河」「総角」「東屋」といった巻名は催馬楽の題名ですし、「紅葉賀」の巻では催馬楽を軸に展開されているんですよね。
【晴明と道長。次ページに続きます】