三条天皇退位後のエピソード
さて、東宮を約束された敦明親王は、道長との軋轢を恐れて東宮の位を辞退していました。道長自身、皇太子に伝えるべき壺切御剣(つぼきりのみつるぎ)を渡さないなどの圧力を加えていたといいます。即位したのは、道長の外孫・後一条天皇、わずか8歳。道長が摂政となり、絶頂期を迎えます。
こうして、三条天皇以降は冷泉系の即位はなくなり、長らく、円融直系で皇位が継がれていくことになります。けれど、三条天皇と妍子の間に生まれた禎子(ていし/よしこ/さだこ)内親王は、皇后としてのちの後三条天皇を産み、三条天皇の血統は朝廷の中で脈々と受け継がれました。
まとめ
藤原道長からの圧力、眼病、内裏の2度に渡る焼失など悩み多き人生を送った三条天皇。
心にも あらでうき世に ながらへば
恋しかるべき 夜半の月かな
(生きていたくはないけれど心ならずも生きながらえたなら、この夜更けの月が懐かしく思い出されることだろう)
これは譲位直前の歌です。百人一首にも選ばれており、現代の私たちにも、悲劇の天皇といわれる三条天皇の心の内がしのばれるようです。
文/深井元惠(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP: https://kyotomedialine.com FB
引用・参考文献/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)