田沼政治の展開
田沼意次の政治は、「経済の活性化」を主軸とした革新的なものでした。以下では、意次が行った主な取り組みをご紹介します。
株仲間の組織化
意次は、商人に独占権を与える代わりに冥加金(みょうがきん)を徴収する株仲間を積極的に認可しました。これにより幕府財政を潤すとともに、商業経済を発展させようとしました。10代家治の治世では、約80の株仲間が認可されたそうです。
通貨制度の改革
通貨の一本化を目指し、純度の高い銀貨(南鐐二朱判)を鋳造しました。これは金銀の交換比率を安定させる意図があり、金銀通貨一本化に近づいた措置でした。しかし、次の松平定信政権によってこの改革は否定され、金銀通貨一本化が実現したのは明治に入ってからとなってしまいました。
蝦夷地の開発
蝦夷地(現在の北海道)の開発計画も進めました。工藤平助の提言を受け、蝦夷地調査を行い、新たな可能性を模索しました。
印旛沼・手賀沼の干拓事業
利根川流域の新田開発を目指し、印旛沼(いんばぬま)や手賀沼の干拓事業を推進しましたが、これらのプロジェクトは意次の失脚とともに中断されました。

失脚と晩年
田沼の勢いに陰りが見え始めたのは、天明4年(1784)の息子・意知(おきとも)が暗殺された事件からでした。そして、天明6年(1786)、将軍家治の死を契機に反田沼派が力を増し、意次は老中を罷免されます。その後、所領の大部分を没収され、遠江国相良城も破却されました。
田沼は失脚後、蟄居謹慎の身となり、天明8年(1788)に失意のうちに70歳で没したのです。
【2023年NHKドラマ10『大奥 Season2』で描かれた、田沼意次。次ページに続きます】
