I:なんだか感動ですね。現場からの声を頭ごなしに否定する管理職に聞かせたいエピソードですね。そして、私が、『どうする家康』の現場、熱くて面白い! と思ったエピソードです。なんか、うらやましい現場ですよね。そして、山田さんは、牢の前での面白エピソードを明かしてくれました。
結果的には、正信の言葉がきっかけで、百地に殿の強い意思を届けることができ、難を逃れました。殿が解放された時、みんながほっとして少し落ち着いた空気も流れましたが、半蔵としてはまだ牢屋の中にいるので100%安心は出来ないし、伊賀を越えて、殿を安全な場所にお連れしなければならないという、まだ気が抜けない状況でした。そんな中、みんなの視線が正信から外れて殿に向き出した瞬間に、松山(ケンイチ)くんが、僕を見てニヤリとしながら、そこら辺にあるものを掴んで懐に入れ始めたんです。(笑) カットされる可能性もありましたが、コメディ要素として成立させるためにも、僕はそれにリアクションしなければならない。その時は、声を出さずに「やめろ!」と目でやり取りしましたけど(笑)。そんな場面もありました。
A:思わず、見返したくなる話ですが、どうもそれらしいカットはありますが、細かいところは残念ながら映ってないですね(笑)。山田孝之さん、松山ケンイチさんという当代きっての俳優の隠れエピソード。別の番組でいいので、その場面もみせてほしいですね。
I:本当ですね。さて、それでは山田さんの最後のお話をどうぞ。家康から〈お主も立派な武士じゃ〉と言われたくだりです。
正直、半蔵は自分が武士か忍びかということに対して、強いこだわりは持っていないのではと思っています。これまで度々登場した 「忍だろう」と言われて「いや武士だ」と返すシーンは、ある意味いじりやネタでもあるじゃないですか。半蔵としては「みんなが忍としか見てくれない」とネガティブには捉えていないと思っていました。でも第 29 回の最後、殿から「おぬしも今日から立派な武士じゃ」という言葉を貰う場面は、ドラマ的には殿から認められるシーンでもあるので、印象的なセリフにするため、芝居の中で感情を組み立てていきました。周りのみんなは、無事浜に着いて笑顔ですが、半蔵は殿のお命を危険にさらしてしまったことを深く反省していて、自分は腹を切らねばならない位の状態だと思い詰めている……という様に。本番でもみんなの輪に入らずにぶつぶつ独り言を話したりして、気持ちを積み上げて演じました。
I:コミカル含みだった半蔵の場面にこれだけの感動エピソードが込められていたとは、なんだかじんときますね。
A:本当ですね。ちなみに、家康家臣団の多くが江戸時代には大名として「殿様」になりましたが、半蔵の服部家は大名にはなれませんでした。しかし、江戸城に半蔵門という門が設けられ、今日にいたるまで、地下鉄半蔵門線など、その名が残っているわけです。
I:私は半蔵門とヤン・ヨーステンが由来の八重洲ぐらいしか、ゆかりの地名を知りません。半蔵ってすごいんですね。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『日本はこうしてつくられた3 徳川家康 戦国争乱と王道政治』などを担当。『信長全史』を編集した際に、採算を無視して信長、秀吉、家康を中心に戦国関連の史跡をまとめて取材した。
●ライターI:三河生まれの文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2023年2月号 徳川家康特集の取材・執筆も担当。好きな戦国史跡は「一乗谷朝倉氏遺跡」。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり