高野山奥の院にあった浅井長政供養塔
I:浅井三姉妹関連では『サライ』2015年4月号でも関連記事を掲載しました。高野山特集で奥の院を取材した記事です。
A:奥の院には、供養塔が30万基もあるといわれており、戦国武将らの供養塔も多数あります 。その中でもっとも大きい「一番石」といわれているのが、浅井三姉妹のひとり「お江」の供養塔です。高さが6.6メートルもあります。
I:二代将軍秀忠の正室ですからね。そして興味深いのは、その供養塔を建立したのは三代将軍家光ではなく、家光弟の徳川忠長ということですよね。
A:そして、お江の父浅井長政の供養塔が見つかったのは平成20年代のことでした。「一番石」のお江の供養塔よりはるかに小さい高さ1.5メートルの供養塔です。浅井長政の供養塔だとわかった直後に取材したのが懐かしいです。建立したのは京極家に嫁いだ二女の「お初」だといわれています。文禄元年(1592)の日付が刻まれているので、長政の20回忌に建立されたのではないかといわれています。
I:なんだか、また高野山に行ってあの小さな供養塔に手を合わせたくなりました。秋には小谷城にも行きたいですね。あの鮮烈な紅葉を愛でながら、浅井長政に思いを馳せたくなりました。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『日本はこうしてつくられた3 徳川家康 戦国争乱と王道政治』などを担当。『信長全史』を編集した際に、採算を無視して信長、秀吉、家康を中心に戦国関連の史跡をまとめて取材した。
●ライターI:三河生まれの文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2023年2月号 徳川家康特集の取材・執筆も担当。好きな戦国史跡は「一乗谷朝倉氏遺跡」。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり