文/池上信次

BLUE GIANT [オリジナル・サウンドトラック](ユニバーサルミュージック)
映画の音楽担当は上原ひろみ。「JASS」のメンバーの演奏は、馬場智章(テナー・サックス)、上原ひろみ(ピアノ)、石若駿(ドラムス)によるもの。ただ、これらは映画の役柄を「演じて」いるものなので、ぜひ個々の「本当の」演奏も聴いてみてください。

熱血青春ジャズ・マンガ『BLUE GIANT』(小学館『ビッグコミック』で2013年から16年まで連載。続編『BLUE GIANT EXPLORER』が現在連載中)がアニメーション映画化され、現在公開中(23年2月より)というのは、本サイト読者の皆さんならもうご存じだと思います。さっそく観てきました。観て驚いたのは、クライマックスでの長い演奏シーン。まさにライヴの「現場」が表現されていました。いうまでもなく、これは紙ではできない映画ならではの表現であり、この「アニメによるライヴ体験」はじつに新鮮な印象を受けました。「ジャズ入門」としても最適。ふだんジャズのライヴに馴染みのない人にとっては、きっと経験したことのないような長い演奏でしょうが、そのシーンに至るまでにストーリーの中で何度も「(主人公が考える)ジャズとはこういうもの」という説明が明示・暗示されていますので、その長さの意味も充分理解できると思います。

で、そのストーリーはネット上に情報があふれていますので紹介はほかのサイトに任せて、ここではジャズ・ファン的な視点からの感想などを紹介します。えー、まず気になったのはバンドの編成です。主人公はテナー・サックス奏者で、最初にピアニストに声をかけて、ライヴ出演を目標に活動を開始します。そして「バンド」にするために、次に探すのがドラマー。そしてドラマーが決まると、名前をつけてバンドとして始動するのですが、メンバーの誰もベースの必要性を話すことはありません。映画を最後まで観ていけば、この楽器編成でなければ成り立たない部分もあるストーリーということがわかるのですが、ベースがいたほうがジャズ・バンドとしては自然だよなあ、という余計なお世話的な感想をまず持ちました。

ジャズにはバンド編成の「決まり」はまったくありません。ソロ・サックスもありですし、サックスとピアノとのデュオでもいいわけです。ただ自然発生的にできた「標準」編成はあります。たとえばピアノ・トリオ(ピアノを中心にした3人編成)ならピアノ+ベース+ドラムスが現在の標準といえるものです。これは1940年代半ばの「ビ・バップ」時代のバド・パウエル・トリオ以降のことで、それ以前はナット・キング・コール・トリオに代表されるピアノ+ギター+ベースの編成が標準でした。標準は時代によって変わってきています。サックス・トリオはどうでしょうか。サックスがメインの3人編成はそもそも標準とはいえず、50年代のソニー・ロリンズ、60年代のオーネット・コールマンのサックス・トリオ(いずれもサックス、ベース、ドラムス)が有名ですが、それは特殊だったから有名になったわけで、サックスがメインのバンドはカルテット(4人編成/サックス+ピアノまたはギター、ベース、ドラムス)がビ・バップの時代以降、現在に至るまで標準といえるものです。ビ・バップ以降は「アドリブ・ソロ」がジャズ表現の重要な要素となり、とくに管楽器奏者メインのバンドは、その演奏手法からピアノなどのコード楽器とベース、ドラムスが必要不可欠なものとなりました。

というわけで、この主人公のバンド編成は、この映画の時代(ほぼ現在)には珍しいといえるものです。でもじつはこれは「昔の」標準編成なのでした。ビ・バップ以前のスイング・ジャズ時代に活躍していた管楽器奏者の小人数バンドではこの編成は珍しくありません。有名どころではベニー・グッドマン・トリオ。グッドマンのクラリネット、テディ・ウィルソンのピアノ、ジーン・クルーパのドラムスというメンバーです。グッドマンはオーケストラで知られますが、それを最小編成にするとこの組み合わせになるということなのでしょう。また、サックス、ピアノ、ドラムスという、同じくベースのいない3人編成ながらまったく逆の道を歩んでいたのが、1960年代のセシル・テイラー・トリオと山下洋輔トリオ。いずれも「フリー・ジャズ」を代表するグループです。「フリー」ですから標準編成はありませんが、ベースのいないトリオというと、まずこれらのグループを想像する方は多いと思います。さて、主人公のバンドはスウィング・ジャズとは無縁です。ひたすら熱く吹きまくるのが信条ですが、フリー・ジャズとも違います。

主人公たちのバンド名は「JASS」。映画の中では説明はありませんが、「JASS」は「JAZZ」以前の「ジャズ」の表記。世界初のジャズ・レコーディングで歴史に名を残す「オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド」の、そのレコードに記されたバンド名が「Original Dexieland Jass Band」だったのは知る人ぞ知るところ(すぐに「Jazz」に改名)。

音楽的前例にこだわらず人間関係で生まれた3人編成、そして「JASS」という名前のこのバンドから感じられるのは、まさに「ジャズの誕生」です。そしてそれを動かしていたのは、「世界一のジャズマンになる」という目標を掲げる主人公の止むに止まれぬ情熱です。それが見えてくると編成はどうでもよくなり、「宮本大(主人公の名前です)トリオ」ではなくグループでなくてはならないということがわかりました。冒頭に書いたように物語中にはジャズについてのいろんな説明が出てきますが、それは枝葉であり、彼らの存在がジャズなんだよな、と思いながら映画館をあとにしました。これはジャズを「感じる」映画なのです。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

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石塚 真一  著
小学館

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