まるで日蓮法難を彷彿とさせる全成の最期
I:劇中では比企能員が、さらに全成をたばかる姿が描かれました。その結果、頼家の怒りは爆発し、全成はいよいよ討たれることになります。
A:頼朝実弟で、醍醐寺で長く修行してきた貴種である全成の存在は北条側から見ても煙たかったのかもしれません。
I:頼朝の挙兵に兄弟の中でいちばんに駆けつけて来た全成が討たれるとは。八田知家(演・市原隼人)に引っ立てられた全成はひたすら呪文を唱えます。すると風が吹き、雲行きが怪しくなってきます。さらに八田知家が刀を抜くと雷鳴と稲妻が! このシーンどこかで見たことがあります。
A:1979年公開の映画『日蓮』ですね。日蓮が龍ノ口で斬首されそうになった刹那に火の玉が現われて、さらには竜巻が発生して幕府役人を動けなくしました。その結果、首を斬れなくなったという場面がありました。全成斬首から68年後になります。
I:1979年というと『草燃える』と同じ年の公開だったんですね。
A:さて、『鎌倉殿の13人』ですが、最後に八田知家が全成に〈悪禅師全成、覚悟!〉と叫びながら刀を降り下ろしました。ここで思い出されたのが、永井路子先生の小説『悪禅師』(『炎環』文春文庫所収)のラストシーン。八田知家の家人が〈悪禅師、お命頂戴つかまつる〉というと、全成はかすかに笑って、〈悪禅師……か〉とつぶやくのです。
I:劇中ではほとんど登場しませんでしたが、全成と実衣の間には時元、頼全などの男子のほかに、公家の藤原公佐に嫁いだ女子が生まれています。このうち藤原公佐の系譜から阿野姓を名乗る流れが出て、子孫のひとりが後醍醐天皇の寵姫(ちょうき)として知られる阿野廉子(れんし)。
A:後醍醐天皇といえば、鎌倉幕府倒幕に生涯をかけ、実際幕府を倒しました。その歴史に触れると〈やはり全成殿には人知を超えたお力があったんですね〉という政子の台詞をかみしめたくなります。鎌倉幕府の滅亡は全成の死から130年後の出来事です。
I:新納慎也さんが演じた全成らしく、130年もの時間をかけて北条一族を追い詰めたというところでしょうか。実衣の「長ッ」という声が聞こえてきそうです(笑)。しかし、本作の全成・実衣夫婦、ほんとうにいい味を出していました。
A:大相撲でいったら殊勲賞と敢闘賞と技能賞の三賞を同時受賞したくらいの大活躍。ほんとうに楽しませてくれました。
I:なぜ大相撲で例えるのか釈然としませんが、すごい! っていうことだけは伝わってきます。私も全成・実衣夫婦が大好きでした。なんかスピンオフ作品やってくれないですかね。ところで、全成の死で、頼朝の挙兵に集った兄弟がすべて鬼籍に入りました。兄弟たちの運命を変えた平治の乱から43年、頼朝挙兵から23年。あまりにも悲しい兄弟の物語です。頼朝、範頼、全成、義円、義経。みんな死んでしまいました。
A:劇中で登場していませんが、頼朝の兄、義平、朝長も平治の乱後に命を落としています。そして、これも劇中での登場はありませんでしたが、頼朝と母を同じくする弟希義(まれよし)も頼朝挙兵後の混乱の中で、流されていた土佐で平家方に討ち取られました(番外紀行編参照:https://serai.jp/hobby/1085188)。頼朝を除くすべての兄弟が非業の死を遂げたということになります。
I:そして、いよいよ北条と比企の対立が沸点に達します。そんな折も折、頼家が倒れるという展開になりましたが、ここで再確認しておきましょう。
A:〈源氏は飾り物に過ぎない〉という言葉ですね。それを腹に含めている男がひとり。
I:その男の名は、北条義時。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『半島をゆく』、鎌倉歴史文化館学芸員の山本みなみ氏の『史伝 北条義時』などを担当。初めて通しで見た大河ドラマが『草燃える』(1979年)。先日、源頼朝のもう一人の弟で高知で討たれた源希義の墓所にお参りした。
●ライターI:ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2022年1月号 鎌倉特集も執筆。好きな鎌倉武士は和田義盛。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり