文/池上信次

歴史を振り返ると、ジャズにおいては、たとえば長時間録音が可能になったテープレコーダーの開発など、録音技術や製作手法の進歩が、それまでになかった作品づくりのきっかけになってきました。今回紹介するのは「ヴァーチャル共演」。技術の進歩は実現不可能な「共演作品」を多数作り出しました。

具体的には「過去のジャズ・ジャイアントとの共演」です。大げさにいえば、時空を超えた、「過去」との共演ということになりますね。これは、現在の録音物に、過去に残された音源を重ね合わせてしまうという大胆なもの。技法としてのオーヴァーダビング(重ね録音)は、録音機材が作られた当初から使われていたものですが、大胆なのはその発想の方。ジャズではすべての面で「リアル」であることが尊重され続けてきたわけですが、あえてその対極を作り出しているのですから。ここには技術だけでなく、1980年代のヒップホップに始まる、音源は「素材」であるという「サンプリング」の概念とその容認が広く浸透したという側面もあると思います。

まずその嚆矢となったのは、1988年公開の映画『バード』(クリント・イーストウッド監督)の音楽でしょう。この映画はチャーリー・パーカーの生涯を描いた物語ですが、劇中のライヴ演奏のシーンでは、パーカーのレコードからパーカーの演奏した音を抜き取り、新たに録音したバックの演奏に重ねた音源が使用されました(サウンドトラックCDには完奏ヴァージョンが収録されています)。「共演者」には、パーカーの生前に共演経験のあるレッド・ロドニー(トランペット)やレイ・ブラウン(ベース)もいますが、ジョン・ファディス(トランペット)やロン・カーター(ベース)らは「ありえない」共演となります。現在の耳で聴けば、その抜き出しもミックスも技術的にはイマイチな面がありますが、当時はたいへん驚いたものです。まあ、これは「作品」というよりも、映画の音響やシーン構成に対応するための「実験」でしたが、新しい発想に基づく「それまでになかったジャズ音源」といえるものです。

この「ヴァーチャル共演」を、作品として最初に発表したのがナタリー・コール(ヴォーカル)。『バード』の3年後、1991年のことです。アルバム『アンフォゲッタブル(原題:Unforgettable… with Love)』(エレクトラ)に収録された「アンフォゲッタブル」で、父親ナット・キング・コール(1965年に45歳で死去)の歌声と共演を果たしました。掛け合いで歌われる様子は親子共演ということもあってなんとも温かい雰囲気があり、また音質的にもまったく違和感のない「共演」になっています。が、しかし、声の年齢はナット42歳、ナタリー40歳なのです。

アルバムのプロデューサーであるトミー・リピューマの評伝(※)によれば、このヴァーチャル共演のアイデアは、ナタリーによるもの。じつは、ナタリーは父親とのヴァーチャル共演を、レコーディングの前にすでにショーで行なっていました。当初『アンフォゲッタブル』はナタリーによる「ナット愛唱曲集」という企画でしたが、「共演」の話をたまたま聞いたトミー・リピューマは、それをショーと同様に、クロージングとしてアルバムに入れることを提案して実現に至ったとあります。つまり「共演」は目玉企画というわけではなかったのですが、結果的にはそこが一番評価(=ヒット)されたということになります。

※『トミー・リピューマのバラード ジャズの粋を極めたプロデューサーの物語』(ベン・シドラン著、吉成 伸幸・アンジェロ訳、シンコーミュージック・エンタテイメント刊)

「アンフォゲッタブル」はナットの大ヒット曲の1曲でした。ナットはこの曲を1952年に『アンフォゲッタブル』(キャピトル/10インチLP/モノラル)で発表後、61年に『ナット・キング・コール・ストーリー』(キャピトル/ステレオ)で再レコーディングしていますが、ナットは録音の音にはたいへんこだわりを持っており、61年版の録音は3トラックのテープで行なわれていました。3トラックのうち2トラックはオーケストラがステレオで録音され、1トラックはナットのヴォーカルのみ。ナタリーは61年版のヴォーカルのみのトラックを使って「共演」していたのでした。先の『バード』でのパーカーの音源はモノラルの録音でしたので完全な分離は不可能でしたが、これならば完璧です。さらに当時最高の技術で磨きがかけられ、ナットの歌声は録音から約30年を経て、新たなピカピカの歌声として生まれ変わったのでした。

そして、この『アンフォゲッタブル』は現在までに(30年間)1400万枚以上という大ヒット&ロングセラーとなっています。これだけのヒットですから、ナタリーはこの後もたびたびナットとの「共演」を行ないました。以下、列記します。幸か不幸か、アルバムの「お約束」の感がありますね。親子共演ではありますが、いつしか年齢は子供のほうが上になっているという、ますます「ありえない」ヴァーチャルな状況になっていることも面白いですね。


ナタリー・コール『エスパニョール』(ヴァーヴ)
演奏:ナタリー・コール(ヴォーカル)、ほか
発表:2013年
ラテン音楽界の巨匠ルディ・ペレスをプロデューサーに迎え、アンドレア・ボチェッリ(ヴォーカル)、クリス・ボッティ(トランペット)らがゲスト参加した、全曲スペイン語歌唱のアルバム。ナット・キング・コールとのヴァーチャル共演を1曲収録していますが、これもスペイン語。ナットはスペイン語アルバムを3枚リリースしていてラテン圏でも人気があったため、アルバムはもともとその功績にトリビュートしたもの。なお、これがナタリーの遺作となりました(2015年末死去)

*ナット・キング・コール&ナタリー・コール「ヴァーチャル共演」曲
1)『アンフォゲッタブル』(エレクトラ)収録「アンフォゲッタブル」(1991年発表)
2)『スターダスト』(エレクトラ)収録「ホエン・アイ・フォーリン・ラヴ」(1996年)
3)『同』収録「レッツ・フェイス・ミュージック・アンド・ダンス」※ナットが弾くハモンドB3オルガンと共演
4)『ザ・マジック・オブ・クリスマス』(エレクトラ)収録「ザ・クリスマス・ソング」(1999年/エレクトラ)※現在サブスクで聴ける同アルバムでは、ナタリー単独ヴァージョンになっていますが、同音源はナット・キング・コールの『クリスマス・ソング+5』(キャピトル)で聴くことができます。
5)『スティル・アンフォゲッタブル』(アトコ)収録「歩いて帰ろう」(2008年)
6)『エスパニョール』(ヴァーヴ)収録「アセルカテ・マス」(2013年)

「アンフォゲッタブル」の大ヒットで、「ヴァーチャル共演」は登場直後からいきなり広く一般に受け入れられたとみることができますが、そうなればほかのアーティストも黙ってはいません。「共演」作品はその後、続々と登場することになるのですが……。(次回に続く)

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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