文/柿川鮎子

江戸の読本作者・曲亭馬琴(本名滝沢興邦:明和4(1767)年6月~嘉永元(1848)年11月)は、大の猫好きだった。日記には猫に関する記述が大量に残されている。

日記に書かれた馬琴の猫

嘉永元(1848)年5月、林の中にいた放浪猫が子ども達に追われたのか、馬琴の家に入って来た。見ると可愛い雌猫で、お腹が大きく懐妊している。馬琴の長男の嫁・路(みち)と、長女の幸(さち)が見つけて、かわいそうに思い、猫を保護して飼育することにした。

馬琴宅で大切に保護された猫は、翌6月、元気な子猫を4頭も産んだ。ころころと小さな子猫が母親の傍で遊んでいる姿は、馬琴の心を慰めた。

7月、馬琴は源右衛門宅に母猫と子猫を里親に出した。出した後、馬琴は猫の母子がどうなっているかを心配したと日記に書き残している。その後しばらくして、「猫の母子が移転先の家になじんだ」という知らせを聞いて、心から安堵した。

8月に九段北に住んでいた娘の幸(さち)に子猫を里親に出した。さらに赤白の雄猫を、親族の清右衛門の家に里親に出した。この時、馬琴は猫が里親宅で幸せに暮らせるよう、鰹節を添えて子猫といっしょに渡している。

松村儀助という人物も「馬琴宅に子猫がいる」という噂を聞いてやってきた。馬琴の家族が儀助に対応して、赤雑毛の雌猫を、ボラの開きと一緒に里親に出した。

単に里親に出すだけでなく、鰹節やボラの開きを一緒に出しているところが、馬琴の愛猫家ぶりを表している。「里親先でも大切に飼って欲しい」という馬琴の猫を愛する気持ちが伝わってくる。

ネズミ捕りが得意な猫を自慢

4頭の子猫のうち、最後に残った雄の子猫は、馬琴宅で優秀なネズミ捕り猫に育った。10月にはネズミを3匹も捕ったとちょっと自慢げに日記に残している。

後世、「日本のシェークスピア」とも呼ばれた江戸の大作家である馬琴先生でも、猫には甘い飼い主だったようで、日記に書かれた「とても優秀なうちの猫自慢」がとても微笑ましい。

しかし、残念なことにこの猫は翌年の3月に、里犬に追われて行方不明になってしまう。あちこち訪ねて猫を探し回ったが、見つからなかった。馬琴も路も落胆し、いなくなった猫を惜しがった。

その様子を見た岩井政之助が馬琴のために猫を一匹、馬琴宅に連れてきた。3匹もネズミを捕る猫が居なくなって、嘆いている様子を見た人が同情して持ち込んだのか、さらに子猫がまた増えた。

曲亭馬琴(『國文学名家肖像集』より)

猫にとって居心地の良かった馬琴宅

もともと馬琴は動物好きで特に鳥には一時、夢中になった。100羽以上も飼育し、鳥の図鑑も書き残している。子猫が生まれて困った人から「馬琴先生のお宅ならば、猫を引き取ってくれるかも」と思われても不思議ではない。

馬琴は執筆料だけで生活することができた、日本で初めての作家だった。有名な南総里見八犬伝の他、出版された作品は江戸じゅうの人々を魅了し、当時は有名人だった。「馬琴先生が猫を失って悲しんでいる」という噂はすぐに広まったに違いない。そうして子猫がまた、馬琴宅にやってきた。

馬琴宅に子猫がいるという噂を聞いた煮豆売りの半兵衛が「ぜひうちに子猫を譲って欲しい」と願い出た。馬琴は大切に飼育して欲しいという願いを込めて、今度は食べ物ではなく、紋縮緬の首玉をつけて、子猫を譲渡している。

紋縮緬とは縮緬地に文様を織り出した高級布地で、庶民にはなかなか手の届かない、高価な布地である。それを猫のために、惜しげもなく首玉にしたところも、馬琴の猫愛を感じさせられる。

人間が子猫を持ち込むだけでなく、猫自身にも好かれていたようで、馬琴宅にはどこからともなく猫がやってきて、子猫を産んだ。そうやって生まれた子猫の1頭に、馬琴は「仁助」という名前をつけてかわいがった。

日記にはいろいろな猫が登場するが、どれも赤雑毛や白黒と毛の色で呼んでいたが、仁助だけは名前を付けて、その名を書き残した。仁助は馬琴にとって生涯最後に愛した猫だったようだ。

現代にも通じる馬琴の保護猫の譲渡活動

上記のように馬琴の家ではたくさんの猫を保護し譲渡している。居着いた猫や持ち込まれた猫の子を育て、欲しいと言われると譲渡して、幸せに暮らしているのかを知りたがった。

現在のペットの保護活動も、健康な猫をきちんと飼育管理できる飼い主に譲渡し、譲渡した後も正しく世話ができているかどうかを確かめる。

馬琴は猫を知人や友人といった信頼できる人だけに譲渡し、その後の様子についてもトレーサビリティを行っている。馬琴の猫の保護活動は、現在の保護活動と全く同じやり方だった。

特に猫の健康には気を遣って、病気になると人と同じように布団に寝かせて看病したという記述がある。病気の猫を助けるために、雨の中、路が薬種問屋に行って「烏犀角(うさいかく)」と呼ばれる猫薬を与えたという記録も残されている。

馬琴と、その死後に日記を受け継いで書いた路の日記には、病気の猫の様子を「便が出た」、「少しだけ食欲が戻った」、「むき身を食べた」、「ご飯を食べた」と、細かく書き残されていて、飼い猫の健康を気遣っていたようだ。

猫に慰められ、たくさんの猫を飼って里親にも出した馬琴。江戸時代末期としては享年81歳と長生きで、全98巻、106冊もの長編・南総里見八犬伝を書き残すことができたのも、心を癒してくれた愛猫のおかげだったのかもしれない。

屋根型の蔵書印が彫りこまれた馬琴の墓

文/柿川鮎子 明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、東京都動物園ボランティア、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。

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