それでは、正解を発表します!
【クイズ1】
江戸の吉原では、着飾った花魁が新造や禿を引き連れて、外八文字を踏み、ゆっくりと練り歩く様子が名物となりました。では、花魁が見世から客の待つ茶屋に向かうこのお練りを、何といったでしょう?
(い)御披露目行列
(ろ)顔見世道中
(は)花魁道中
(に)太夫お練り
正解(は)
花魁とは位の高い女郎のこと。庶民には高嶺の花で、花魁道中をながめて楽しむだけであった。
【クイズ2】
「( )を四書文選のあいに読み」この川柳は、勉学のあいまに吉原のガイドブックを読んでいる様子を詠んだものです。( )に入る言葉は、どれでしょう?
(い)案内
(ろ)往来
(は)細見
(に)道行
正解(は)
『吉原細見』は、新吉原の絵図に遊女の階級を示す合印、揚代、紋日(遊里で定めた特別な日)のほか、女芸者、男芸者、船宿などを記載したもので、吉原遊びには欠かせなかった案内書。単に「細見」とも呼ぶ。
【クイズ3】
吉原には、客が妓楼で遊ぶために、送迎や酒宴の場を提供する茶屋がありました。その店を何と呼んだでしょう?
(い)水茶屋
(ろ)引手茶屋
(は)編笠茶屋
(に)芝居茶屋
正解(ろ)
吉原の仲の町の両側にある引手茶屋は遊客の廓遊びの案内所で、格の高い妓楼は引手茶屋を通した客しか上がれなかった。
【クイズ4】
吉原には「太夫」と呼ばれる最高級の遊女がいましたが、明和期(1764~72)に大きな変化があり、太夫は姿を消しました。では、これ以降もっとも格式が高いとされた遊女は、次のうちどれでしょう?
(い)付廻
(ろ)呼出
(は)座敷持
(に)部屋持
正解(ろ)
遊女の呼称は、場所と時代により異なる。江戸吉原の遊女は慶長17年(1612)以来、大夫と端女郎の2等級に分かれていた。これに寛永期に格子女郎、正保・慶安期に局女郎・切見世女郎、寛文8年(1668)に散茶女郎が加わり、局女郎は梅茶女郎と名称が変わる。この6種の等級は、上から大夫・格子・散茶・梅茶・切見世・端。享保期までに端女郎が姿を消し、明和期(1764~72)に入ると、太夫・格子の呼称がなくなり、「呼出」が最高ランクとなった。
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いかがでしたか? 今回は2級と3級の問題から出題しました。4問目は正解率49%とちょっと難しかったかもしれませんね。
※問題の出典:『第4回 江戸検問題公式解説集』『第3回江戸文化歴史検定(2008年度)江戸検出題問題公式解説集』
取材・文/オノハルコ(晴レノ日スタヂオ)