それでは、正解を発表します!
【クイズ1】
藩士が江戸屋敷で勤務することを「江戸勤番」といい、いくつかの勤務形態がありました。では、参勤のため出府する藩主に従って江戸へ出てきて、到着後すぐに帰国した人たちを、何といったでしょう?
(い)江戸詰
(ろ)定府
(は)立帰り
(に)留守居役
正解(は)
藩主の参勤の際に江戸に出て、すぐに帰国する者を「立帰り」と呼んだ。常に江戸にいる者が「定府」、藩主とともに江戸にいて藩主とともに帰国するのが「江戸詰」である。「留守居役」は、幕府や他藩との外交にあたる江戸屋敷の重要な役職。
【クイズ2】
幕府は、大名が将軍の家臣としての忠誠を示す臣従儀礼として、参勤交代を制度化しました。では、自身が将軍となって江戸城に入る前に、大名として東海道を通って参勤したことがあるのは、次のうち誰でしょう?
(い)6代将軍徳川家宣
(ろ)8代将軍徳川吉宗
(は)14代将軍徳川家茂
(に)15代将軍徳川慶喜
正解(ろ)
8代将軍吉宗は、紀州徳川家2代藩主の庶子として和歌山で生まれた。宝永2年(1705)、長兄、次兄の相次ぐ死により5代藩主となる。紀州藩も参勤交代を義務づけられており、吉宗も参勤している。
【クイズ3】
大名行列が往来を通り過ぎるとき、前方の先払いが「下に-、下に-」という声で沿道の人を平伏させていましたが、これはすべての大名に許されていたわけではありません。では、公に認められていた家は、次のうちどれでしょう?
(い)御三家
(ろ)老中をつとめたことのある大名家
(は)国持格の大名家すべて
(に)3万石以上の大名家すべて
正解(い)
鹿島万兵衛『江戸の夕栄』(中公文庫)によると「御府内諸候方の行列は御三家(尾張・紀州・水戸)御三卿(田安・清水・一ツ橋)のほか路傍の者に下に居れと下坐させぬなり」とある。ただし将軍の娘は他家に嫁いでもこれが許された。
【クイズ4】
参勤交代は、寛永12年(1635)に制度化されたといわれますが、なかには参勤交代をせず、江戸に定府していた藩がありました。それは次のうちどの藩でしょう?
(い)松前藩
(ろ)対馬藩
(は)尾張藩
(に)水戸藩
正解(に)
水戸藩は徳川将軍家のひとつ水戸徳川家を藩主とし、参勤交代の義務のない江戸定府の藩であった。藩主は幕府の許可を得て帰国することになっていたが、あまり水戸の土を踏まない藩主もあった。
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以上4問、いかがでしたか? 大名行列でお決まりの「下にー、下にー」という言葉は、全ての大名が使えたわけではなかったのは驚きですね!
今回のクイズで1番難しかったのは3問目で、正解率は66%。全体的に簡単だったかもしれませんね。
※問題の出典:『第4回 江戸検問題公式解説集』『第3回江戸文化歴史検定(2008年度)江戸検出題問題公式解説集』
取材・文/オノハルコ(晴レノ日スタヂオ)