黒幕説~秀吉・家康・義昭・朝廷

怨恨説とならんで好まれてきたのは「黒幕説」だろう。光秀の単独犯ではなく、背後に黒幕ないし共謀者がいるという見解。むずかしいのは、仮にそうした相手がいたとして、証しとなる文書を残すはずがないという点。本能寺の変にかぎらないが、陰謀論は証拠がないのが当たり前だから、いつまでも消滅することがないのである。

黒幕としてよく持ちだされるのは、秀吉、家康に足利義昭、朝廷というところ。秀吉と家康に関していえば、さすがに近年、正面から主張する人はすくない。「結果として大きな利益を得たから」という理由にもとづく嫌疑だが、秀吉は毛利の大軍と対峙しており、信長の死が洩れれば一斉攻撃に遭うおそれが強い。家康はといえば、すくない供まわりで堺見物に出ており、事実、死の危険をおかして伊賀越えを敢行、領国へ帰ることとなった。利益云々は結果論であり、ふたりが置かれた状況を見れば、あまりにリスクが高いというほかない。

一方、朝廷に関しては後編であらためて述べるが、当時追放されていた足利義昭と気脈を通じたというのは、ありえなくもない話である。光秀は織田家へつかえた当初、義昭と信長両者に属する立場にあったと見られている。とうぜん義昭とも親しかったろうから、幕府再興をくわだてる誘いの手が伸びたとしてもおかしくはない。

が、朝廷にせよ義昭にせよ、光秀としては主殺しに大義名分を与えてくれる願ってもない存在である。このどちらかが黒幕なら、大々的に天下へ喧伝するものだろう。それがないということが、すなわち黒幕が存在しなかった証しではなかろうか。

ちなみに、光秀の書状(山崎合戦の前日にあたる6月12日付)に、「(義昭を)京へお迎えする件は承諾しました」というくだりがあり、これが義昭黒幕説の証拠と見なされることもある。が、これは変後に義昭を擁立しようとした証しにはなるものの、黒幕説の根拠とするにはいささか弱いというべきだろう。

野望説~天下をのぞんだ光秀?

史料を駆使した近代的光秀伝の先駆けとして有名な、高柳光寿「明智光秀」(1958)で提唱された説。「信長は天下が欲しかった。……光秀も天下が欲しかったのである」と歯切れがいい。ごくかいつまんで言えば、もともと天下を狙っていた光秀が、主君の身辺手薄、かつ秀吉はじめ有力家臣たちが遠征で出払っている好機をつかんだというもの。シンプルなだけに、反論がむずかしい説でもある。「天下を望んでいなかった証拠」というのは、なかなかあるものではない。変後、盟友・細川藤孝へ宛てた書状に「こたびのことは、忠興(藤孝の嫡子)などを取り立てるためにやったこと……政情が落ちついたら、自分の倅や忠興に政権を引き渡すつもりだ」とあるのを引き合いにして光秀の無心を主張する人がいるが、これは藤孝を味方にすべく、かなり切羽詰まって書いたものだということを考慮する必要がある。

ところで前掲書のすごさは、仮に叛乱を起こさなかった場合、光秀に未来はないという洞察にまで踏み込んでいるところ。秀吉との出世競争におくれを取りつつあった状況を踏まえ、何と近年注目を浴びている「四国説」(後編で詳述)への目配りまでなされている。先駆けにして最先端というわけで、畏敬の思いをいだかずにはいられない。

ここまでは、長きにわたって主張されてきた説を紹介した。後編では、上記の「四国説」を中心に、近年支持をひろげてきた見解を検証してゆこう。

「本能寺の変」の真相を追う(後編)に続く

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。2021年、『高瀬庄左衛門御留書』で第165回直木賞・第34回山本周五郎賞候補。また、同作で第9回野村胡堂文学賞・第15回舟橋聖一文学賞・第11回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。2022年、『黛家の兄弟』で第35回山本周五郎賞を受賞。他の著書に『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著に『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』、 『Story for you』 (いずれも講談社)がある。『逆転の戦国史「天才」ではなかった信長、「叛臣」ではなかった光秀』 (小学館)が発売中。

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