味覚障害について急激な高齢化を背景に我が国の味覚障害者は確実に増加しています。味覚障害のお悩みで耳鼻咽喉科を受診した患者数を調べた日本口腔・咽頭科学会の調査によると、1990年では年間約14万人、2004年では年間約24万人と報告されています。つまり、味覚障害の患者さんは10年間で10万人も増えたと報道されています。
しかし、この数はあくまでも医療機関を受診した患者さんの数で、実際の味覚障害者の数はもっと多いことが予想されているのです。私たちは、実際に甘・酸・塩・苦味に関する味覚検査を行い、味覚障害の実態について調査しました。対象者は、仙台市近郊の養護老人ホ-ムに入居し健常者と同様の自立した日常生活を送っている65歳から94歳の高齢者71名(平均年齢80歳)です。その結果、入居者の約37%に異常が認められましたが、実際に味覚障害を自覚している割合はわずか19%と少ないことが分かりました。
この結果から、味覚障害者は数多く存在するものの、本人の自覚が少ないために医療機関を受診する人はかなり少ないと推測されます。味覚は、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)のなかでも、その障害に気づきにくい感覚と思われるのです。
味覚障害は食欲や体調に関わる重要なサイン
味覚と食欲・体調の関係について調べたところ、味覚が正常な人の96%が食欲良好なのに対し、味覚障害者の43%の人は「食欲がない」と答えています。
また、体調については、味覚が正常な人の93%が「快調だ」と答えたのに対し、味覚障害者の45%が体調不良を訴えていました。このように、高齢者の味覚障害は単なる感覚障害ではなく、食欲や体調と深く関わる重要なサインととらえるべきです。
一方、正常な味覚の維持には毎日のバランスのよい栄養摂取が欠かせません。なぜなら、味覚をつかさどる味蕾は、常に再生して新しく置き換わるからです。食欲低下による低栄養は味蕾の再生を妨げますから、味覚障害をさらに重篤化します。そして、食欲低下から低栄養の悪循環に陥る危険性が高いといえます。特に高齢者の場合、低栄養は骨粗鬆症や骨折、褥創(じゅくそう=床ずれ)とも関連し、要介護にもつながります。味覚障害を早期発見し早期治療を受ければ低栄養を予防できますから、健康長寿社会の実現に役立つと考えられます。
また、味覚障害者は味が分からないため、より濃い味を好む傾向にあります。その結果、つい塩分や糖分を摂りすぎてしまい、高血圧症、動脈硬化、糖尿病などの生活習慣病や肥満につながる危険性もあります。
唾液量の低下が味覚障害を呼ぶ
さて、こちらは上記グラフで述べた高齢者を対象に、ガムを噛んでもらうテストによって味覚障害と唾液分泌量との関係について調べた結果です。
10分間ガムを噛んで分泌される唾液の量の基準値10mlとすると、味覚正常者の平均値は約13mlと基準値を上まわっていました。これに対して、味覚障害者では約5mlで、なんと全員が唾液分泌低下を示しました。
前回記事でお話ししたとおり、味覚は嗅覚、視覚、口腔感覚、内臓感覚、心理などの情報が統合された総合感覚です。そして、味覚障害の原因は多岐にわたることはが知られてきました。その原因の一つとして唾液分泌低下は重要だといえます。
本来、味覚は味物質が味蕾の味細胞に到達し受容されることで始まる感覚です。唾液は、(1)味物質を溶解し味蕾に運ぶ、(2)成長因子を含み味蕾の再生を促進する、(3)各種抗菌・抗炎症成分を含み味蕾を保護するなどの働きがあり、味覚の受容と密接に関連しています。ですから、ドライマウス(唾液分泌低下)を防ぎ唾液の分泌を正常に保つことが重要だといえます。
ドライマウス予防法
ドライマウスを防ぐためには、以下の5つの方法があります。
(1)味蕾の再生に不可欠な「亜鉛」を十分に摂取することが重要です。亜鉛が多く含まれる牡蠣や牛肉、レバー、卵黄を摂取することをおすすめします。
(2)唾液の分泌をうながす唾液腺マッサージも有効です。口の渇きが続くときは、耳の下から頬に位置する「耳下腺」、顎のエラの内側にある「顎下腺」、下顎の「舌下腺」を5~10回ほど指で優しくマッサージしましょう。
(3)筆者は「うまみ成分」(グルタミン酸)を大量に含む昆布だしを用いて、唾液分泌量を改善する方法を提唱しています。やり方は簡単で、水500mlに対して昆布30gを用いて、昆布だし(水だしがよい)を作成し、所定量の3倍ほどに薄めた昆布茶を30秒ほど口に含んで飲むだけです。この方法によって、唾液の分泌がよくなり、味覚が改善することがあります。
(4)硬い食感と柔らかい食感の食べ物を一緒に食べることでも咀嚼の刺激が加わり唾液を増やすことが可能です。
(5)シンプルですが、日常的に「人と話すこと」でも口の運動になり唾液分泌が促されます。特に高齢者は周囲と会話する機会を持ちましょう。
味覚は動物が生きるための感覚
味覚は動物が生きるために必須の感覚です。そして、味覚障害は単なる感覚障害ではなく全身の健康に影響を及ぼす重要なサインです。超高齢化を迎えた我が国では味覚障害が確実に増えています。味覚障害を予防するためにも、食を味わって楽しみ、ご自身の味覚の変化に敏感になることが健康長寿の第一歩です。
文/笹野 高嗣(ささの たかし)東北大学名誉教授
1979年東北大学歯学部卒、1998年東北大学教授(口腔診断学)。これまで、東北大学歯学部附属病院長、東北大学歯学部長、東北大学大学院歯学研究科長、東北大学病院総括副病院長、日本口腔診断学会理事長などを歴任。長年の研究に基づいた診療技術はテレビや新聞などに数多く報道されている。現在、医療法人 徳真会顧問、NPO法人うま味インフォメーションセンター理事。