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山田久志監督、星野仙一監督が僕に与えてくれもの(山本昌の健康・スポーツコラム 第10回)

夕刊サライは本誌では読めないプレミアムエッセイを、月~金の毎夕17:00に更新しています。月曜日は「健康・スポーツ」をテーマに、野球解説者の山本昌さんが執筆します。

文/山本昌(野球解説者)

夕刊サライ連載も残すところ数回となりました。野球解説者の山本昌です。

みなさんゴールデンウィークは楽しまれたのでしょうか?
国内や海外に旅行に行かれた方も多いのではないかと思いますが、僕はテレビ収録、中継解説、イベント出演など、忙しく仕事をしていました。

さて、前回は僕の趣味の話をしましたが、今回は野球の話に戻って、監督との思い出やエピソードをご紹介します。

■50歳までの現役生活を支えた山田監督時代の走りこみ

僕は現役32年のプロ野球生活、中日ドラゴンズ1球団でがんばってきました。入団をした当初は山内一弘さんが監督をされていました。その後、星野仙一さん、高木守道さん、山田久志さん、落合博満さん、谷繁元信さんと、合計6人の監督の下で野球をしてきました。

僕が30代後半を迎える頃、チームの監督は山田久志さんでした。僕は年齢的にもベテラン選手といわれるようになっていましたが、山田監督は「ベテランだから」と練習メニューや走る距離を変更することはなく、若手選手と同じ量をこなすように指導されました。

プロ野球選手もベテランになってくると、個別メニューをしたり、走る量も個人の裁量に任せたりということが増えてくるものです。
しかし僕にとっては、山田監督の指導がとてもいい結果に繋がりました。若手選手と同じ量の走り込みを続けたことで、基礎体力を維持することができましたし、足腰も鍛えられました。おかげで50歳まで現役を続けることができたといっても過言ではないと思います。

そして、僕自身が走ることに抵抗がなかったこともよかったのかもしれません。
振り返ってみると、その原点は高校2年生の時にたどり着きます。春の大会で負けてしまったことから、このままでは甲子園に行くことはできないと、先輩と一緒に朝7時から授業が始まる前まで、約6kmを毎日走っていました。先輩が引退してからは僕が後輩を連れて、部活を引退するまで続けていました。

現代のプロ野球界は「走り込みが減った」のが良くないのでは? などという話を耳にすることがあります。確かに僕たちの時代と比べたら減っているかもしれません。

でも、一般の成人男性と比べればものすごい量を走っているわけですし、現代の練習は多種多様になっています。練習器具やトレーニングマシン、分析機器などもどんどん進歩をしています。ですから僕は走り込みの量が減っていることが一概に悪いとはいえないと思いますよ。

学生時代の野球部で走っているときの写真です。右から2番目、先頭を走っているのが僕です。

■野球界での大恩人、チャンスをくれた星野監督

星野監督との話は本当にたくさんありすぎて、簡単にまとめることはできないのですが、講演活動などで少しお話しすることもあります。

僕が野球選手としてなかなか成績が上がらずくすぶっていた時、野球留学をさせてくれたのが星野監督でした。1988年、中日ドラゴンズはアメリカ・フロリダ州で春期キャンプを行なったのですが、星野監督に言われるがまま、ひとりアメリカに置いていかれました。当時は、この先、プロ野球選手としてどうなるのだろうか……と、不安になることもありました。

ですが、日本に呼び戻してくれたのも星野監督でした。88年8月下旬のことです。
このアメリカ留学は僕の野球人生を決定づけるほど貴重な体験で、技術的なことだけではなく、強い心を持つことの大切さなどを学ぶことができました。

叱られたことも数えくれないくらいあります。もうクビにされるのではないかと思うこともありました。
そんなことがあっても、最終的にはまた試合で使ってくれました。だからこそ活躍することができましたし、それが成長に繋がりました。

そんな星野監督がお亡くなりになり、大恩人を失って、言葉では表しようのない気持ちになりましたが、これは僕だけではないと思います。監督は野球界にとっても大きな大きな存在でしたので、本当に残念でなりません。

まだまだ勉強中の僕ですが、いつかユニフォームを着て現場復帰をする時がきたら、星野監督から学んだことをこれからの野球選手たちに伝えていきたいです。

文/山本昌(やまもと・まさ)
昭和40年、神奈川県生まれ。野球解説者。32年間、中日ドラゴンズの投手として活躍し、平成27年に引退。近著に『山本昌という生き方』(小学館刊)。

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